川俣

かわまたKawamata

全国1886位 ・ 約8,260人

川俣(かわまた)は、「和名抄」の河内国若江郡に川保那とある(原文のまま。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
かわまた
ローマ字
Kawamata
全国順位
全国1886位
推計人数
約8,260人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

川俣をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kawamata読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 河内国(大阪府)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 岩代国(福島県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

川俣(かわまた)は、「和名抄」の河内国(大阪府)若江郡に川保那とある(原文のまま。高山寺本は「川俣郷」に作るのがよいとする)。そのほか伊勢(三重県)・武蔵(東京都・埼玉県)・常陸(茨城県)・上野(群馬県)・下野(栃木県)・岩代(福島県)・肥後(熊本県)などにこの地名がある。この氏はこれらの地名を負ったもので、数流がある。 【1】川俣県造 ― 伊勢の大族で、地方官名から来る。川俣県とは鈴鹿郡川俣神社とある付近の地、すなわち後世の鈴鹿・河曲二郡の地であるようだ。 この県造は「倭姫命世紀」に「川俣県造の祖・大比古命が参り会って『汝の国の名は何か』とお尋ねになった。『味酒の鈴鹿国、奈其波志、忍山と申します』と申し上げ、そして神宮を造り奉り、行幸させ申し上げ、また神田ならびに神戸を差し出した」とある。 また「皇太神宮儀式帳」に「河曲、次に鈴鹿の小山宮においでになった。その時、川俣県造らの遠祖・大比古に『汝が国の名は何か』とお尋ねになった。『味酒の鈴鹿国と申します』と申し上げ、そこで神御田ならびに神戸を差し出した」と見える。 鈴鹿郡に英多郷、また県主神社があり、「和名抄」「神名式」に見える。おそらくこの県造のあった地で、また県主とも言ったものと考えられる。 下って承和十三年二月紀に「伊勢国が言上する。鈴鹿郡枚田郷の戸主・川俣県造能成の戸口・役茂麻呂の妻、川俣県造藤権侶」などと見えるのはその裔である。 【2】川俣公 ― 前項の川俣氏とは別であろう。河内国発祥の名族で、「和名抄」に若江郡川俣郷とある地より起こる。「神名帳」の同郡に川俣神社を収める。おそらくこの氏の氏神であろう。この氏は開化天皇の皇裔で、「姓氏録」河内皇別に「川俣公、日下部連と同祖、彦坐命の後である」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

川俣カハマタ和名抄、河内國若江郡に川保那あり、高山寺本に川俣郷に作るをよしとす。其の他、伊勢、武藏、常陸、上野、下野、岩代、肥後等に此の地名あり。此の、氏は此等の地名を負ひしにて、數流あり。 1川俣縣造伊勢の大族にして、地方官名より來る。川優縣とは鈴鹿郡川候神社とある附近の地、卽ち後世の鈴鹿河曲二郡の地なるが如し。而して此の縣造は倭姫命世紀に「川俣縣造祖大比古命參り相ひきも汝の國の名·何と問ひ賜ふ。白さく味酒の鈴鹿國奈其波志·忍山と白しき然して神宮を造り奉リ、幸行せしめ奉り、又神田並に神戶を進めき」と。また皇太神宮儀式帳に「河曲、次に鈴鹿小山宮に坐しき。彼の時、川俣義造等の遠祖大比古を、汝が國の名·何と間ひ賜ひき。白さく味酒の鈴鹿國と白しき。其れ卽ち神御田、井に神戶を進めき」と見ゆ。鈴鹿郡に英多〓、また縣主神社ありて、和名抄、神名式に見えたり。蓋し此の縣遣のありし地にして、又縣主とも云ひしものと考へらる。下りて承和十三年二月紀に「伊勢國·言す、鈴鹿郡枚田〓戶主川侯縣造能成の戶口·役茂麻呂の妻·川俣縣道藤權をなど見ゆるは其の裔也。 2川侯公前項川俣氏とは別なるべし。河内國發祥の名族にして、和名抄に若江郡川侵〓とある地より起る。神名帳·同郡に川俣神社を收む、蓋し此の氏の氏神なるべし。此の氏は開化天皇の皇裔にして、姓氏錄、河内皇別に「川俣公、日下部連同祖、彥坐命の後也」とあり。

姓氏家系大辞典 第2巻 265コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

川俣と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

川俣に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が川俣の前後にある名字です。

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