生稲
いくいなIkuina
全国9252位 ・ 約841人
生稲(いなだ)は、「太平記」巻第二に「四国勢の中に秋間兵庫助兄弟三人、生稲四郎左衛門一族十二人、一足も引かずに討たれた」と見える。
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基本情報
- 読み
- いくいな
- ローマ字
- Ikuina
- 全国順位
- 全国9252位
- 推計人数
- 約841人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
生稲をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ikuina読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 備前国(岡山県)
- 美作国(岡山県)
- 安芸国(広島県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
生稲(いなだ)は、「太平記」巻第二に「四国勢の中に秋間兵庫助兄弟三人、生稲四郎左衛門一族十二人、一足も引かずに討たれた」と見える。 稲谷(いなたに)は、本国は備前(岡山県)か。稲谷右近将監は浦上宗景の家臣であったが、天神山落城の後、美作(岡山県)に移ったという。 稲足(いなたり・いなあし)は、安芸国(広島県)山県郡稲足から起こる。大内氏の一族という。「芸藩通志」に「先祖は大内氏の庶子次郎四郎で、母に従って常友村稲足に居り、後に六右衛門と改めて農となった」と見える。 稲地(いなぢ)は、摂津国(大阪府・兵庫県)能勢郡稲地邑から起こる。稲地伊賀守は天文年中に稲地村に拠った。能勢氏の家臣で、次の氏と同族か。 稲治(いなぢ)は、丹波国(京都府・兵庫県)氷上郡新井村の母坪城に拠った。同城は「明智軍記」に保月城と見える。稲治氏の居城で赤井氏に属し、天正中に没落した。また藤原姓で政量を祖とするという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
生稻イナダ太平記卷世二に「四國勢の中に秋間兵庫助兄弟三人、生稲四郞左衞門一族十二人、一足も引かで討れにより」と見ゆ。稻谷。イナタニ本國備前か。稻谷右近將監は浦上宗景の家臣なりしが、天神山陷リて後美作に移ると云ふ。稻足イナタリイナアシ安藝國山縣郡稻足より起る。大內氏の族なりと。藝蕩通志に「先祖大內氏の庶子次郞四郞、母に從ひて常友村稻足に居る、後六右衞門と改めて農となる」と見ゆ。稻地イナヂ攝津國能勢郡稻地邑より起る。稻地伊賀守、天文年中稻地村に據る。能勢氏の家臣なり、次の氏と同族か。稻治イナヂ丹波國氷上郡新井村母坪城に據る、同城は明智軍記に保月城と見ゆ。稻治氏の居城にして赤井氏に屬す、天正中沒落す。又藤原姓にして政量を祖とすと云ふ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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