玉置
たまきTamaki
ほかの読み: たまおき
全国806位 ・ 約2.4万人
玉置(たまき/たまおき)は、(冒頭は原文の行が崩れている)『和名抄』の若狭国遠敷郡に玉置○(多末支)を収め、後世は玉置庄という。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- たまき ・ たまおき
- ローマ字
- Tamaki
- 全国順位
- 全国806位
- 推計人数
- 約2.4万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.019%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
玉置をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
「たまき」と読む場合
Tamaki読みをそのまま写した形
「たまおき」と読む場合
Tamaoki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「玉置」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
洲浜
川口にできる砂州を、三つの丸みで象った図案。
『姓氏家系大辞典』第4巻 111コマに「家紋は州濱形」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 若狭国(福井県)
- 紀伊国(和歌山県)
- 大和国(奈良県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
玉置(たまき/たまおき)は、(冒頭は原文の行が崩れている)『和名抄』の若狭国(福井県)遠敷郡に玉置○(多末支)を収め、後世は玉置庄という。そのほか大和(奈良県)・紀伊(和歌山県)などにこの地名がある。 【1】玉置庄司 ― 大和から紀伊にわたる大族で、史上に聞こえる。出自については、大和国吉野郡十津川邑に玉置山があり、種々の説がある。以下、各項に述べる。 山上に玉置権現があり、玉置氏の祖神かという。巨鐘一口があり、銘に○保三年と載せ、鉦口二口、一つは貞永二年の造で文安四年に懸けたという。社家はすなわち玉置氏で、その僧舎を多聞院という(『大和志』)。 【2】桓武平氏重盛流説 ― (このあたりは原文の行が入り乱れ、「庄司が見えるが詳らかでない」「『吉野山志』に」「『太平記』巻五に玉置」「玉置山の麓」「庄司の居処はある村の大字玉置川にあり」「折立村ともいう」といった断片が交錯する) 『吉野旧事記』に「玉置氏は熊野八庄司の一味である。ゆえに熊野八庄司と呼ぶ。吉野十津川の郷士である。昔、平三位中将資盛の三男が十津川に居を構え、旗頭となった」とある。また土地の人がいうには「資盛は京から落ちて来て玉置の養子となったと伝える」と。また「玉置はもとは折立村などに住んだが、後に樫原村に隠れて世を終えた」ともいう。 樫原村に玉林寺があって五輪塔の墓標がある。また庄司の像は、折立村に神牌を蔵し、また松雲寺にあって、その形は武人に似ず、手に笏を持ち、頭に水色の絹をかぶり、二重台に安坐する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
玉置マキと註す。……タマオキ和名抄、若狭國違敷郡に玉置〓(多末支)を收め、後世玉置庄と云ふ。その他、大和、紀伊等に此の地名あり。 1玉置庄司大和より紀伊に亘りての大族にして、史上に聞ゆ。出自については大和國吉野郡十津川邑に、玉置山ありて、種々の說あり、以下各項に述べん。山上に玉置權現あり、玉置氏の祖神かと云ふ。巨鐘一口ありて、銷して廳保三年と載せ、金口二口、一は貞永二年の造、文安四年に懸くと。視家は則ち玉置氏に一 一して、其の僧舎を多聞院と曰ふ(大和志)。 2庄司·見え、詳かならず。桓武平氏重盛流說或は曰ふ、吉野山志に太平記卷五に玉置玉置山の麓、「莊司の居處は或村大字玉置川にありて、は折立村とも云へり」と折立も亦其の大山は東十津川字なり。吉野舊事記に「玉置氏は能野八庄司の一味たり、故に熊野八庄司と呼ぶ。吉野十津川の郷士なり。昔平三位中將資盛の三男十津川に繫居して、旗頭となる」と。また土人の云ふ「資盛は、京より落ち來りて、玉置の養子となりたる由傳ふ」と又「玉置もとは折立村などに住みたりしが、後に樫原村に隱れて終れり」とも云ふ。樫原村に玉林寺ありて、五輪塔の墓表あり。又庄司の像は折立村神牌を藏し、又松雲寺にありて、其の形·武人に似ず、手に笏を持ち、頭に水色の絹を掌り、二重臺に安坐す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
玉置と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
玉置に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「玉」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が玉置の前後にある名字です。
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