猿橋
さるはしSaruhashi
全国5404位 ・ 約1,910人
猿橋(さるはし)は、藤原姓を伝える。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- さるはし
- ローマ字
- Saruhashi
- 全国順位
- 全国5404位
- 推計人数
- 約1,910人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
猿橋をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Saruhashi読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 越後国(新潟県)
- 和泉国(大阪府)
- 信濃国(長野県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
猿橋(さるはし)は、藤原姓を伝える。……(この前後、原文はサル行の見出し(サララ・サルカ・サルシ・サルハネ・サルマル・サルメなど)が並ぶ部分で、字が崩れて読み取れない) 【1】越後(新潟県)の猿橋氏 ― 沼垂郡の猿橋村より起こる。天正年間に猿橋和泉があり、新発田治長の老臣であった。天正十五年、心変わりして敵を引き入れたという。 【2】下野(栃木県)の猿橋氏 ― 日光東照宮の旧社家にこの氏がある。もとは百石であった。 【3】雑載 ― そのほか信濃(長野県)・石見(島根県)などにも存する。 (このあと原文は次の見出し「去返(さるはね)」の記事に移る)中世、出羽国(山形県・秋田県)に去返駅があり、その地の豪族かという。「延暦紀」に去返公がある。……(中略) (このあと原文はさらに次の見出し「猿丸(さるまる)」の記事に移る)摂津国(大阪府・兵庫県)菟原郡芦屋村の名族で、猿丸大夫の後という。「塩尻」に「猿丸大夫は芦屋村の人だそうで、その屋敷とも言い伝えられるものがある」と見える。現在も同村に猿丸姓が四戸ある。また左衛門・吉左衛門の系図は次のとおりで、「猿丸又左衛門略系譜」に……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
猿橋サルハシ藤原娑羅々馬河內サララーサルカサルカウ-サルシサルシマ-サルハシFIRサルハネ、サルマルサルマルサルマル-サルメc.m1越後の猿橋氏沼垂郡の猿橋村より起30天正年間、猿橋和泉あり、新發田治長の老臣也。十五年變心して敵を引入ると云ふ。 2下野の猿橋氏日光東照宮の舊社家に此の氏あり。もと百石たりき。……3雜載信濃、石見等にも存す。去返サルハネ中世、出羽國に避翼驛あリ、その地の豪族かと云ふ。延曆紀に去返公あり。……猿棒サルボウ猿丸サルマル攝津國蒐原郡蘆屋村の名族にして、猿丸大夫の後と云ふ。鹽尻に「猿丸大夫は蘆屋村の人のよし、則ち屋敷とも申し傳へ、これ有り」と見ゆ。現今同村に猿丸姓四戶あり。又左衞門、及び吉左衞門の系諸は左の如し猿丸又左衞門略系譜に……
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
猿橋に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「猿」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が猿橋の前後にある名字です。
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