熊岡
くまおかKumaoka
全国7567位 ・ 約1,160人
熊岡(くまをか)は、「和名抄」に讃岐国三野郡の熊岡郷を載せ、久万乎賀と註す。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- くまおか
- ローマ字
- Kumaoka
- 全国順位
- 全国7567位
- 推計人数
- 約1,160人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
熊岡をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kumaoka読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 讃岐国(香川県)
- 丹後国(京都府)
- 信濃国(長野県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
熊岡(くまをか)は、「和名抄」に讃岐国(香川県)三野郡の熊岡郷を載せ、久万乎賀と註す。当国の豪族に熊岡丹後があり、炭所惣左衛門の娘婿であった。「全証史」などに見える。また信濃(長野県)にもこの氏が存する。 (このあと原文は次の見出し「熊谷」の記事に移る) ……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない) 熊谷系図もほとんどこれと同様で、直貞の条に「初めて熊谷次郎大夫と号す」と註し、また直実の条に「次郎、法名蓮生、生年辛酉、承元三年九月十四日午の刻、熊谷において病死、年八十四歳」と註す。 末文に次のようにある。「直貞が初めて熊谷と号した。名字の由来を詳しく言うと、直貞の父・盛方は北面の武士であったが、勅勘を被って亡くなった。直貞が二歳の時、乳母が夜に紛れて都を忍び出て、内々に武州(東京都・埼玉県)に一族の者がいると聞き及び、その子を表の下に隠して武州の小沢太夫のもとを訪ね、そこに落ち着いて年月を送ったという。また成木大夫の婿となったが、十六歳まではまだ所領を知らなかった。 ここで武州大里郡の内に熊が一頭おり、行き来する人を襲うことは数知れず、永治年間になっても依然として害をなしていた。そこで武州の四家(私党)の一門が寄り集まり、この熊を退治しようと相談した。人数を出して狩りをすること数日、あるいは罠をかけて待つなど、いろいろ試みたがまったく効果がなかった。 重ねて一族が集まって言うには、『われこそはと思う者が一人で出てこの熊を射止め、他家に討ち取らせるのは一族の恥辱である』と。三百石、熊井九直国(安芸熊谷)備中守の一族の中に、この熊を射る者があれば、私党の旗頭とし、熊谷三百町を知行させると固く取り決めた」
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
熊岡クマヲカ和名抄、讃岐國三野郡に熊岡〓を載せ、久萬乎賀と註す。當國の豪族に熊岡丹後あり、炭所惣左衞門の女婿たりき。全證史等に見ゆ。又信濃にも此の氏存す。「實景「實景直重(武藏熊谷)文言真(三河熊谷)と載せ、熊谷系圖も、殆んど之と同樣にして、直貞の條に「始めて熊谷次郞大夫と號す」と註し、又直實の條に「次郞、法名蓮生、生年辛酉、承元三年九月十四日午刻、熊谷に於いて病死、年八十四歳」と註し、末文に「直貞·初めて熊谷と號す。名字の子細は、直貞の父盛方は北面の侍たり。勅勘を蒙りて相果つ。直貞二歲の時、乳母·夜に紛れ都を忍出で行きしが、内々武州に一家の衆有りと聞き及び、彼の息を表の下に隱し、武州小澤太夫が所へ尋ね、落ち着きて爰にて年月送ると云ふ。又成木大夫が聟と成り、十六歲迄は不知行也。爰に武州大里郡の内に熊一つ之れ有り、往來の人を取る事·其の數を知らず、永治年中·依然禍をなす處に、武州四の一家(私黨)一門寄リ集まりて、此の熊を害せんと談合す。然れば人數を以つて狩する事數日也。或はきつなをかけて待ち、色々樣々なりといへども、更に其の甲斐なし。重ねて一類集りて申しけるは、我と思ふ者一人でゝ、此の熊射害せ、他家に害させんは一家の耻辱なり。「三百石、熊井九直國(安藝熊谷)備中守一類の中に、此の熊を射るものあらば、私の黨の旗頭に成し、熊谷三百町·知行すべしと堅く之を定む。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
熊岡に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「熊」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が熊岡の前後にある名字です。
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