深草
ふかくさFukakusa
全国6593位 ・ 約1,430人
深草(ふかくさ・ふかおさ)は、「和名抄」の山城国紀伊郡に深草郷を収め、不加乎佐と注する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ふかくさ
- ローマ字
- Fukakusa
- 全国順位
- 全国6593位
- 推計人数
- 約1,430人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
深草をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Fukakusa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 山城国(京都府)
- 紀伊国(和歌山県)
- 美濃国(岐阜県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
深草(ふかくさ・ふかおさ)は、「和名抄」の山城国(京都府)紀伊郡に深草郷を収め、不加乎佐と注する。一本には不加久佐とある。古く深草屯倉があり、「日本書紀」孝徳紀に見え、秦氏の一つの根拠地である。秦の項目を参照。 【1】藤原姓 ― 大炊御門家の内大臣信宗の猶子・信量(実は後三条入道左府実尚の男で、公敦の弟)は深草右大臣と称した。左大臣、左右大将に至る。 【2】雑載 ― 後鳥羽天皇の皇女・照子内親王を深草密宮と申し上げる。また大納言義平の長子・義宣は深草に住んで深草少将と称された。小野小町に懸想し、百夜通いしたが遂げられず、弘仁三年に死んだという。 また深草元政があり、本姓は菅原、石井吉兵衛といい、二代目の高尾と恋をした。後に僧となり、山城の深草に住んだ。「草山集」などの著書が多い。 (このあと原文は次の見出し「深窪」の記事に移る) 深窪(ふかくぼ)は、紀伊国(和歌山県)牟婁郡の名族で、「続風土記」小森川村屋敷跡の項目に「土地の人が伝えて言うには、昔、深○源左衛門という落人の居所であったという」とある(この一字は原文が崩れている)。美濃(岐阜県)に厚登荘がある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
深草フカクサフカヲサ和名抄、山城國紀伊郡に深草〓を收め、不加乎佐と註す。一本に不加久佐と。古く深草屯倉あり、孝總紀に見ゆ、秦氏の一根據地也、ハタ條參照1藤原姓大炊御門家内大臣信宗の猶子信量(實は後三條入道左府實尙の男、公敦の弟)·深草右大臣と稱す。左大臣、左右大將に至る。 2雜載後島羽皇女照子内親王を深草蜜宮と申し奉る。又大納言義平の長子義宣は深草に棲みて深草少將と稱せらる。小野小町に懸墓し、百夜通ひしも果さず、弘仁三年死すと云ふ。又深草元政あり、本姓菅原、石井吉兵衞、二代高尾と戀す。後僧となり、山城深草に居る。草山集等の著書多し。深窪フカクボ紀伊國牟婁郡の名族にして、續風土記、小森川村屋敷跡條に「土人傳へ云ふ、昔深謹源左衞門といふ落人の居所なり」といふ。美濃に厚登庄あり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
深草に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「深」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が深草の前後にある名字です。
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