浦瀬

うらせUrase

全国8068位 ・ 約1,040人

浦瀬(うらせ)は、浦田(うらた)と併せて、伊勢・上総・磐城・越後などにこの地名があり、これらから起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
うらせ
ローマ字
Urase
全国順位
全国8068位
推計人数
約1,040人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

浦瀬をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Urase読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 上総国(千葉県)
  • 越後国(新潟県)
  • 播磨国(兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

浦瀬(うらせ)は、浦田(うらた)と併せて、伊勢(三重県)・上総(千葉県)・磐城(福島県・宮城県)・越後(新潟県)などにこの地名があり、これらから起こる。 【1】浦田臣 ― 夷姓で、播磨(兵庫県)の豪族である。弘仁三年正月紀に「夷播磨国印南郡権少領外従五位下浦田臣山人」と見える。 【2】荒木田姓 ― 伊勢国度会郡浦田から起こる。荒木田姓であるが、血筋は斎藤長利の次男の後裔という(神宮記録に月読宮内人とある)。 【3】藤原姓 ― 肥前(佐賀県・長崎県)の浦田氏は藤原藤兵衛重吉の後という。 【4】河野氏流 ― 筑前宗像濃津宮の下社家にこの氏がある。 【5】雑載 ― そのほか、南部家臣にこの氏があり、浦田光休の後という。また志摩(三重県)にもある。ほかに「○田(うらた)」は丹波氷上郡の名族で、麻呂子王子家臣の裔という。「宇良田(うらた)」「浦谷(うらたに)」は志摩にこの氏がある。「反治(うらち)」は「和名抄」上野国(群馬県)佐位郡に反治郷があり、うらちと訓むべきかという。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

浦瀨ウラセ浦田ウラタ伊勢、上總、繁城、越後等に此の地名あり、此等より起る。 1浦田臣夷姓、播磨の豪族にして、弘仁三年正月紀に「夷播磨國印南郡權少領外從五位下浦田臣山人」と見ゆ。 2荒木田姓伊勢國度會郡浦田よリ起る。荒木田姓なれど、血系は齋藤長利次男の後裔なりと云ふ(神宮記錄に月讀宮内人)。 3藤原姓肥前の浦田氏は藤原藤兵衞重吉の後なりと云ふ。 4河野氏流筑前宗像濃津宮の下社家に此の氏あり。 5其の他、南部家臣に此の氏あり、浦田光休の後なりと、又志摩にもあり。ト田ウラタ丹波氷上郡の名族にして、麻呂子王子家臣の裔也と云ふ。字良田ウラタ浦谷ウラタニ志摩に此の氏あり。反治ウラチ和名抄上野國佐位郡に反治郷あり。ウラチと訓むべきかと。

姓氏家系大辞典 第1巻 382コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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