巴

河尻

かわじりKawajiri

全国5273位 ・ 約1,970人

河尻(かわじり)は、肥後に河尻荘があり、そのほか伊勢・遠江・甲斐・上総・常陸・下野・陸中・羽後・長門などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
かわじり
ローマ字
Kawajiri
全国順位
全国5273位
推計人数
約1,970人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

河尻をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kawajiri読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「河尻」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第2巻 252コマに「家紋左三巴、丸の内水色に揚羽蝶、稻丸、」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 肥後国(熊本県)
  • 遠江国(静岡県)
  • 甲斐国(山梨県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

河尻(かわじり)は、肥後(熊本県)に河尻荘があり、そのほか伊勢(三重県)・遠江(静岡県)・甲斐(山梨県)・上総(千葉県)・常陸(茨城県)・下野(栃木県)・陸中(岩手県・秋田県)・羽後(秋田県)・長門(山口県)などにこの地名がある。 【1】清和源氏 ― 肥後の河尻荘から起こる。西宮左大臣の後裔と称する。「河尻系図」に、源高明(西宮左大臣)―諸種(高明の子)―実明(河尻三郎。諸種の七世の孫。建久の初め、肥後飽田郡河尻荘の地頭職としてこの地に来て、城を築いて居住した。「今の河尻町の外城はその城跡である」といい、これが河尻家の祖である。同八年、若宮八幡神社を建てた〔「志略社記」〕)―遠実(右兵衛尉。実明の孫。寛元二年、野田村に安楽寺を建てた〔「寺記」〕)……(中略) ―泰明(遠実の七世の孫。「大慈寺記」には高明の十三世孫・左衛門佐とあり、弘安元年、大慈寺を造立したという〔「寺記」〕。永仁六年十月二十九日に没し、法名は権屋、大慈寺に葬られた) ―武実(民部大輔。剃髪して貞壱と号す。正和の頃の人で、河尻野田村延寿寺の論銘、および同村長徳寺の記に出る) ―幸俊(肥後守。剃髪して堯信と号す)……(中略)河尻氏は、詫磨氏の建久十年三月の文書に「宗形宗綱、詫磨郡内の田畠を河尻乙王丸に売り渡す」とある。 下って「太平記」巻二十七に河尻肥後守幸俊、巻三十三に河尻肥後入道とあり、北朝方に属して肥後守護職であった。正平五年、菊池武光に降った。貞和五年九月二十日の阿蘇大明神願文に肥後守幸俊とあり、次いで恵良惟澄申状、正平十二年二月の甲佐宮雑掌申状、同二十三年七月の令旨などに「河尻三河守入道広覚」とあり、幸俊の子かという。その子に七郎があり、のちの左馬頭実昭という。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

河尻カハジリ肥後に河尻庄、其の他、伊勢、遠江、甲斐、上總、常陸、下野、陸中、羽後、長門等に此の地名あり。 1酷國源氏肥後の河尻庄より起る。西宮左大臣の後裔と稱す。河尻系圖に一原高明(西宮左大臣)-諸種(高明の子)實明(河尻三郞、諸種七世の孫。建久の初、肥後飽田郡河尻莊の地頭職として此に來リ、城を築きて之に居る『今の河尻町の外城は其の城迷也』是れ河尻家祖也。同八年、若宮八幡神社を建つ『志略社記』)遺賣(右兵衞尉、實明の孫、寛元二年野田村に安樂寺を建つ『寺記』······泰明(遠實七世の孫、大慈寺記には、高明十三世孫左衞門佐、弘安元年、大慈寺を造立す、『寺記に見ゆ』。永仁六年十月二十九日死法名權屋、大慈寺に葬る)-武實(民部大輔、剃髪して貞壹と號す。正和の頃の人、河尻野田村延壽寺論銘、及び同村長德寺記に出づ)-幸俊(肥後守、剃髪して堯信と號す。……河尻氏は詫磨建久十年三月文書に「宗形宗綱·詫磨郡内田畠を河尻乙王丸に沽渡す」と。下りて太平記卷二十七に河尻肥後守幸俊、三十三に、河尻肥後入道、北朝に屬し、肥後守護職たり。正平五年菊池武光に降る。貞和五年九月二十日の阿蘇大明神願文に肥後守幸俊、次いで惠良惟澄申狀、正平十二年二月、甲佐宮雜掌申狀、同二十三年七月令旨等に「河尻三河守入道廣覺」あり、幸俊の子かと云ふ。その子に七郞あり、後左馬頭實昭と云ふ。

姓氏家系大辞典 第2巻 251コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

河尻と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

河尻に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が河尻の前後にある名字です。

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