椋本
むくもとMukumoto
全国4314位 ・ 約2,660人
椋本(むくもと)は、伊勢にこの地名があり、武蔵などにこの氏が存する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- むくもと
- ローマ字
- Mukumoto
- 全国順位
- 全国4314位
- 推計人数
- 約2,660人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
椋本をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Mukumoto読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 美濃国(岐阜県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
椋本(むくもと)は、伊勢(三重県)にこの地名があり、武蔵(東京都・埼玉県)などにこの氏が存する。 (このあと原文は次々と別の見出し「武芸」「武義」「牟義」「身毛」「武宜」「牟宜」「身毛津」の記事に移る) 武芸(むげ・むぎ)は、美濃国(岐阜県)に武芸郡があり、「和名抄」に牟分と注する。以下の各項を参照。 武義(むげ・むぎ)は、前条の美濃国武芸郡に武義荘があり、一に武気とも書く。武義造は美濃の豪族で、牟下津造と同じである。天平勝宝二年の当国国司解に「武芸郡揖可○戸主武義造宮盧」とある。にちおの項を参照。 牟義(むげ・むぎ)は、前後数条を参照。 【1】牟義公 ― 大碓命の裔で、身毛津君と同じである。「姓氏録」左京皇別に収め、「牟義○、景行天皇の皇子・大雄命の後裔なり」とある。むけつの項を参照。 【2】牟義君族 ― 前項の氏の族人で、大宝二年の半布里戸籍に「牟義君族且爾志売」などとある。 身毛(むげ)は、前後数条を参照。身毛君は大碓命の裔で、前条の氏と同じである。思うに、身毛都の都はノに通う助辞であり(……この先は原文が崩れて読み取れない)、身毛君は身毛都君というのと異なるところはない。 武宜(むげ)は、牟義都君の族で、正倉院の天平勝宝二年交書などにこの氏人がある。 牟宜(むげ)は、前後数条を参照。牟宜都は牟義都の項を参照。 身毛津(むげつ)は、次条に牟義都とある。前後数条を参照。思うに、この都は助辞のノであって、ムゲというのと異なるところはないようである。 【1】牟義都国造 ― 美濃の大族で、牟義国とは後の武芸郡地方をいう。すなわち牟義都国造は身毛都君・身毛君と同じであり、「国造本紀」には見えないが、「上宮記」に「牟義部国造、名は伊自牟良君の女子・久留比売命、云々」とあるので、当時一国であったことは明らかであろう。 【2】身毛津君 ― また牟宜都君ともある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
椋本ムクモト伊勢に此の地名ありて、武藏等に此の氏存す。武藝ムゲムギ美農國に武藝郡ありて、和名抄に牟分と註す。以下各條を見よ。武義ムゲムギ前條美濃國武藝郡に武義庄あり、一に武氣に作る。。武義造美濃の豪族にして、牟下津造に同じ。天平勝賣二年の當國々司解に「武藝郡揖可〓戶主武義造宮盧」あり。ニチヲ條參照。牟義ムゲムギ前後數條參照。 1半義公大礁命の裔にして、身毛津君に同じ。姓氏錄は左京皇別に收め「半義송景行天皇の皇子大雄命の後裔也」と載せたり、ムケツ條參照。 2牟義君族前項氏の族人にして、半布里大賣二年戶籍に「半義君族且爾志賣」などを載せたり。身毛ムゲ前後數條參照。。身毛君大確命の裔にして、前條氏に同じじ思ふに身毛都の都はノに通ふ助辭バー!身毛君は身毛都君と云ふと異る處なき也。武宜ムゲ牟義都君の族にして、正倉院天平勝賣二年交書等に此の氏人あり。牟宜ムゲ前後數條參照牟宜都カリ半義都條を見よ。身毛津ムゲツ次修に牟義都ムゲツ前後數條參照。思ふに此の都は助辭のノにて、ムゲと云ふと異なる所なきが如し。 1牟義都國造美濃の大族にして、牟義國とは後の武藝郡地方を云ふ。即ち半義都國造は身毛都君、身毛君に同じく、國道本紀に見えざれど、上宮記に「半義部國造、名は伊自半良君の女子久留比賣命、云々」と載せたれば、當時一國たりしや明白ならん。 2身毛津君又半宜都君とあり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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