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全国17417位約299人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
椋橋(くらはし)は、椋椅・倉橋・蔵橋などと通ずる。椋椅部の伴造だった者と、地名を負った者の二者がある。以下の各項及びクラハシベの項を参照。【1】椋橋宿禰 ― 尾張(愛知県)の大族であり、また倉橋部宿禰というのと同一氏か。そして丹羽郡大領であることから推して、多臣族丹羽県主(通波県君)の裔ではないかと思われる。おそらくこの県主の旅人が椋橋部の部分的伴造となって、この部名を負ったのであろう。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
椋橋クラハシ椋椅、倉橋、藏橋等と通ず。椋椅部の伴造たりしものと、地名を負ひしものとの二者あり。以下各條及びクラハシベ條參照。1椋橋宿禰尾張の大族にして、又倉橋部宿禰と云ふと同一氏か。而して丹羽郡大領なるより推して、多臣族丹羽縣主(通波縣君)の裔ならんかと思はる。蓋し此の縣主の旅人、椋橋部の部分的伴造となりて、此の部名を負へるなるべし。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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