梨本

なしもとNashimoto

全国2931位 ・ 約4,590人

梨本(なしもと)は、山城・伊豆などにこの地名が存する。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
なしもと
ローマ字
Nashimoto
全国順位
全国2931位
推計人数
約4,590人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

梨本をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Nashimoto読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 山城国(京都府)
  • 伊豆国(静岡県)
  • 信濃国(長野県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

梨本(なしもと)は、山城(京都府)・伊豆(静岡県)などにこの地名が存する。 【1】梨本宮 ― 崇光帝の御裔であり、伏見宮貞敬親王の御子守修親王より出る。初め梶井宮で法親王であったが、慶応四年に復飾し、明治三年に梨本宮と称された。御子は菊麿王、次いで守正王である。 皇室系図に「一代守脩親王。貞敏親王第十王子。母は家女房合田愛子。文政二年十月二十九日誕生、万代宮と称す。天保三年四月七日、光格天皇の御養子となり、円満院門室を継ぎ、同四年四月八日親王となり、名を守脩とする」とある。 「同年九月二十六日、円満院に入り落飾し、法名を覚諄とする。安政三年十二月十五日、二品に叙し、同六年六月二十日、さらに梶井円融房を継ぎ、同年七月四日、梶井円融房に入り、名を昌仁と改めた」 「明治元年閏四月十五日復飾し、守脩と改め、同日さらに三品に叙し、同年九月十八日元服して上野太守に任じ、同三年十一月三十日、梨本宮と称し、同八年十二月三十一日勲一等、同十三年五月十八日二品、同十四年九月一日薨去、六十三歳」 「二代守正王(朝彦親王第四王子、母は原田光枝子。明治七年三月九日誕生、名○。同十八年十二月二日、梨本宮守脩親王の後を継承し、同十九年六月九日、名を守正と改める。同二十八年十一月十日勲一等、同三十七年十一月三日大勲位、同三十九年四月一日功四級、大正二年八月三十日陸軍少将)―方子女王(第一王女、母は妃伊都子、明治三十四年十一月四日誕生。妹規子女王(母同上、明治四十年四月二十七日誕生))」と載せている。 方子女王は、李王殿下妃の宮であられる。 【2】藤原姓 ― 信州(長野県)上高井郡高井村の名族であり、「梨本氏家譜」に「大職冠鎌足五代の後胤、梨本左衛門佐直富(三河国(愛知県)宝飯郡……この先は原文が崩れていて読み取れない)の後胤、梨本団平直宗の長男越中守直房は、建久四年、鎌倉に仕え、範頼公より一字を拝領して範房と改めた」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

梨本ナシモト山城、伊豆等に此の地名存す。 1梨本宮崇光帝の御裔にして、伏見宮貞敬親王の御子守修親王より出づ。初め梶井宮にて法親王なりしが、慶應四年復節.明治三年に梨本宮と稱し給ふ。御子菊麿王、第守正王也。皇室系圖に「一代守脩親王·貞敏親王第十王子。母は家女房合田愛子。文政二年十月二十九日誕生、萬代宮と稱す。天保三年四月七日、光格天皇の御養子となり、圓滿院門室を瀧ぎ、同四年四月八日親王、名·守備。同年九月二十六日、圓滿院に入リ、落飾、法名覺諄。安政三年十二月十五日、二品に叙し、同六年六月二十日、更に梶井圓融房を繼ぎ、同年七月四日、梶井圓融房に入".名を昌仁と改む。明治元年閏四月十五日復飾、守斷と改め、同日更に三品に叙し、同年九月十八日元服、上野太守に任じ、同三年十一月三十日、梨本宮と稱し、同八年十二月三十一日、動一等、同十三年五月十八日二品、同十四年九月一日発行、六十三歲。二代守正王(朝彥親王第四王子、母は原田光枝子。明治七年三月九日誕生、名多田同十八年十二月二日、梨本宮守脩親王の後を繼承、同十九年六月九日、名を守正と改む。同二十八年十一月十日動一等、同三十七年十一月三日大動位、同三十九年四月一日功四級、大正二年八月三十日陸軍少將)-方子女王(第一王女、母は妃伊都子、明治三十四年十一月四日誕生妹規子女王(毋同上、明治四十年四月二十七日誕生)」と載せ奉れり。方子女王は李王殿下の妃の宮に御座します也。 2藤原姓信州上高井郡高井村の名族にして、梨本氏家譜に「大職冠鐵足五代の後胤、梨本左衞門佐直富(三河國寶飯郡きの後胤·梨本團平直宗の長男越中守直房、建久四年、鎌倉に付、範頼公より一字を拜領して範房と改む。

姓氏家系大辞典 第4巻 471コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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