桑折

こおりKoori

全国6654位 ・ 約1,410人

桑折(こおり)は、岩代・陸前などにこの地名があり、「郡」の転訛と考えられる。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
こおり
ローマ字
Koori
全国順位
全国6654位
推計人数
約1,410人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

桑折をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Koori読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 岩代国(福島県)
  • 陸前国(宮城県・岩手県)
  • 陸奥国(東北地方)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

桑折(こおり)は、岩代(福島県)・陸前(宮城県・岩手県)などにこの地名があり、「郡」の転訛と考えられる。 【1】伊達氏流 ― 岩代国伊達郡桑折邑から起こる。伊達家の一族で、かつ重臣である。 その出自については「伊達世臣家譜」に次のようにある。「桑折氏の祖・孫五郎政長は、伊達家第三世本明公(伊達義広)の子で、桑折邑に住んだのでこれを氏とした。政長の子は六郎宗康である。元亨二年三月、奥州(東北地方)の安藤五郎・安藤又太郎が反乱を起こした際に功があった」。 「宗康の子・下野守康長は、建武四年八月、北畠顕家とともに関東を攻め、利根川の戦いで功があった」という。 また「伊達世臣諸略」には、「桑折は、第四世政依公の支流で、代々桑折邑に住んだと伝える。先祖の孫五郎政長は長門権守に任じられ、その子の某は左近将監に任じられたという」とある。 今考えるに、「東鑑」に伊達左衛門蔵人親長という者があり、おそらくこれは第三世義広公の長男で、政依公の庶兄である。 その家に伝わる文書には、沙弥心円という者が桑折○田を争い、鎌倉殿の裁判を受けたことが記されている。時期はちょうど義広公・政依公の両代の間にあたる。これをもって考えると、心円はすなわち親長入道であり、政長の父ではないか、とある。 その後については、「永禄の初め、十五世晴宗公が奥州探題となったとき、その後裔の播磨守貞長は、牧野弾正忠久仲とともに守護代となり、叙爵された」とある。 貞長の子は僧となって覚阿と号し、相州(神奈川県)藤沢の道場にいた。後に還俗して家を継いだのが宗長である(点了斎と号した)。 宗長は輝宗・政宗の両代に仕えた謀臣であった。その子・摂津政長は、朝鮮出兵の際に釜山浦で客死した。 そこで石母田景頼が、宗長の娘婿であったことから桑折家の陣代となり、石母田の姓を改めて桑折と称したという。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

桑折クヲリコヲリ岩代、陸前等に此の地名あり、郡の轉訛と考へらる。 1伊達氏流岩代國伊達郡桑折邑より起る。伊達家の一族にして、且つ重臣也。その出自に関しては、伊達世臣家譜に「桑折氏、祖孫五郞政長は當家第三世本明公(伊達義廣)の子、桑折邑に住む、因りて之を氏とす焉。政長の子は六郞宗康なり。元享二年三月、奧州安藤五郞、安藤又太郞·反す。其の役に功あり。宗康の子下野守康長、建武四年八月、北畠顯家と同じく關東を攻め、而して利根川に功あり」と云ひ、又伊達世臣諸略には「桑折は傳へて言ふ、第四世政依君の支流にして、世々桑折邑に住む。先祖孫五郞政長、長門權守に任ぜらる。其の子某は左近將監に任ぜらると。今按ずるに、東盤に伊達左衞門藏人親長なる者あり、疑らくは、是れ第三世義廣君の長男にして、政依君の庶兄也。其の家に傳ふる所の文書、沙彌心圓なる者桑折〓田を爭ひ、而して鎌倉殿の裁判を蒙むる事を載せたり。時·正に義廣君、政依君、兩世の際に當る。を以つて之を考ふるに、心圓は乃ち親長入道にして、政長の父乎、」と見ゆ。その後、「水祿の初め、十五世晴宗君、奧州探題と爲る時、其の後裔播磨守貞長、牧野彈正忠久仲と共に、守護代となり、叙爵せらる。貞長の子は僧となり、覺阿と號し、相州藤澤道場に居る。後に還俗して其の家を繼ぐ、宗長と云ふは是れ也(點了齋と號す)。輝宗、政宗の兩世に歷仕し謀臣たり。其の子攝津政長、朝鮮の役·釜山浦に客死す。よりて石母田景賴、宗長の女婿を以つて桑折家陣代と爲り、石母田を改めて桑折と稱す」と。

姓氏家系大辞典 第2巻 431コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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