押川
おしかわOshikawa
全国2185位 ・ 約6,790人
押川(おしかわ)は、常陸そのほかにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- おしかわ
- ローマ字
- Oshikawa
- 全国順位
- 全国2185位
- 推計人数
- 約6,790人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
押川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Oshikawa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 対馬国(長崎県)
- 日向国(宮崎県)
- 大隅国(鹿児島県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
押川(おしかわ)は、常陸(茨城県)そのほかにこの地名がある。薩隅の押川氏は、押川強兵衛公近の後という。公近は押川対馬の第二男で武勇の誉れが多く、関ヶ原の役に島津義弘に従った。強兵衛はまた弥兵衛ともいい、その子を市之丞という。志和屋の項を見よ。 鴛川(おしかわ)は、押川と通じて用いられる。日向(宮崎県)の名族で、霧島両所権現の元亀四年の上梁文に「鴛川大隅守則武敬白」と見える。 熟皮高麗(おしかわのこま)は、高麗族で大和(奈良県)に住んだ。熟皮とはなめし革のことである。この氏はそれを作る職にあったことを名としたものであろう。仁賢紀六年の条に「この年、日鷹吉士が高麗より還り、工匠の須流枳・奴流枳らを献じた。今の倭国山辺郡額田邑の熟皮高麗は、その後である」と見える。 忍壁(おしかべ)は、「和名抄」摂津国(大阪府・兵庫県)有馬郡に忍壁郷があり、「於之加倍、在上下」と注する。古代、刑部のあった地である。オサカベの項を見よ。 押加部(おしかべ)は、刑部の項を見よ。 押鴨(おしかも)は、三河国(愛知県)碧海郡押鴨邑。牡鹿連に同じ。「津」は「ノ」に通じる、牡鹿氏の一族である。同郡丸岡より起こって横山城主であった。 「風土略記」に「横山村に、大実寺屋形武藤の支族が別に居住した邸館があり、没落の年季は詳らかでないが、天正年中まで武藤茂兵衛という人が居住したという。武藤家の鎮守八幡宮がある」云々とある。ただし備前守は横山大膳に攻められ、大膳は武藤家から攻められて、茂兵衛がこれに代わったのである。「地蔵堂縁起」「菅原氏旧記」「平藤氏旧記」「羽源記」などを見よ。 忍久保(おしくぼ)は、能登国(石川県)四海村馬牒の七名の一つで、源姓だという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
押川オシカハ常陸其の他に此の地名あ薩隅の押川氏は押川强兵衞公近の後と云ふ。公近は押川對馬が第二男にして武勇の譽多し、関ケ原の役に島津義弘に從ふ。强兵衞、又彌兵衞ともあり、其の子を市之丞と云ふ。志和屋條を見よ。鴛川ヲシカハ押川と通じ用ひらる。日向の名族にして、霧島兩所權現元亀四年の上梁文に「鴛川大隅守則武敬白」と見ゆ。熟皮高麗ヲシカハノコマ高麗族にして大和に住みたり。熱皮とはなめし革の事なリ。此の氏は其れを作る職にありしを名とせしならむ。仁賢紀六年條に「是の歲、日鷹吉士、高麗より還り、工匠須流枳、奴流枳等を献ず。今の倭國山邊郡額田邑の熱皮高麗、是れ其の後也、」と見ゆ。忍壁オシカペ和名抄攝津國有馬郡に忍壁〓あり、「於之加倍、在上下」と註す。古代刑部のありし地なり。オサカベ條を見よ。押加部オシカベ刑部條を見よ。押鴨オシカモ三河國碧海郡押鴨邑父牡鹿連に同じ。津はノに通ふ父氏の一族なり。同郡丸岡より秘りて橫山城主たり。風土略記に「横山村に大實寺屋形武藤の支族の別居せし邸館あり、沒落の年季詳かならず、天正年中迄、武藤茂兵衞と云ふ人居住せしとぞ、武藤家の鎭守八幡宮あり、云々」と。但し備前守は橫山大膳に攻められ、大膳は武藤家より攻められて、茂兵衞之に代りしなり。地藏堂緣起、菅原氏舊記、平藤氏舊記、羽源記等を見よ。忍久保オシクボ能登國四海村馬牒の七名の一にして源姓なりと云ふ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
押川に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「押」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が押川の前後にある名字です。
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