庄野

しょうのShouno

全国2355位 ・ 約6,120人

庄野(しょうの)は、庄と同じ。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
しょうの
ローマ字
Shouno
全国順位
全国2355位
推計人数
約6,120人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

庄野をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Shouno読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 隠岐国(島根県)
  • 阿波国(徳島県)
  • 和泉国(大阪府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

庄野(しょうの)は、庄と同じ。合わせて見よ。 【1】佐々木氏族 ― 隠岐(島根県)の豪族で、佐々木氏の一族・隠岐判官為○の子経○が庄野五郎と称した。詳細は隠岐の項八八四頁、および鎌倉の項を見よ。 【2】阿波(徳島県)の庄野氏 ― 篠原氏配下の将に庄野和泉守がある。後に篠原右京を追って夷山城主となった。天正年間、秦元親に陥落させられたという(「阿波志」)。……(中略)「将裔記」に「和泉守、八万村二十四町」とある。また「南路志」に「夷山には庄野和泉在城云々」と見える。 【3】肥後(熊本県)の庄野氏 ― 寿永・文治の頃、庄野次郎兵衛があり、綿貫氏と戦ったという。北里の項・庄の項を参照。 【4】肥前(佐賀県・長崎県)の庄野氏 ― 彼杵郡の名族である。庄の項を参照。○村記に「萱瀬村は昔、皆足と書いた。庄野頼甫が知行し、その子は式部」とある。 【5】雑載 ― そのほか姫路酒井藩の重臣に庄野氏がある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

庄野シヤウノ庄と同じ、併せ見よ。 1佐々木氏族隱岐の豪族にして、佐々木氏の族·隱岐判官爲〓の子經〓·莊野五郞と稱す。詳細はオキ條八八四頁、及びカマクラ條を見よ。 2阿波の庄野氏篠原氏配下の將に庄野和泉守あり。後に篠原右京を逐ひて、夷山城主となる。天正中、秦元親に陷らる(阿波志)と。……將裔記に「和泉守、八萬村二十四町」と。又南路志に「夷山には庄野和泉在城云々」と見ゆ。 3肥後の庄野氏壽永文治の頃、庄野次郞兵奮あり。綿貫氏と戰ふと。北里條參照又庄條參照。肥前の庄野氏彼杵郡の名族也。庄條參照。〓村記に「萱瀨村は往古、皆足と書く。庄野賴甫知行す。その子式部」と。 5雜載姫路酒井藩の重臣に、庄野氏あり。

姓氏家系大辞典 第3巻 344コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

庄野と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

庄野に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が庄野の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →