堅田
かただKatada
全国2821位 ・ 約4,800人
堅田(かただ)は、近江・下野・豊後にこの地名があり、また片田・方田と通じて用いられる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- かただ
- ローマ字
- Katada
- 全国順位
- 全国2821位
- 推計人数
- 約4,800人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
堅田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Katada読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「堅田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
五三桐
桐の葉三枚の上に、花の穂を立てた図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 187コマに「家紋五三桐、丸に四石」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 近江国(滋賀県)
- 豊後国(大分県)
- 紀伊国(和歌山県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
堅田(かただ)は、近江(滋賀県)・下野(栃木県)・豊後(大分県)にこの地名があり、また片田・方田と通じて用いられる。 【1】堅田連 ― 紀伊(和歌山県)の古い姓で、熊野連の一族か。東寺文書、承和十二年の田券に「那我郡(那賀郡)山前○(この一字は原文が崩れている)狛村、○長堅田連石成」という者が見える。牟婁郡堅田邑より起こったものであろう。 【2】堅田氏 ― 紀伊国牟婁郡の堅田村より起こる。前項の氏の後裔か。「続風土記」同村要害山岩跡の条に「村の東にあり、山本主膳正の家士・堅田式部の居城である」と見える。なお堅田の項第一項を参照。 【3】那須氏族 ― 下野国那須郡方田○(この一字は原文が崩れている)より起こる。「那須系図」に「那須太郎資隆―義隆(堅田八郎)」と見える。……(中略)また「下野国志」に「義隆は後に興野○(この一字は原文が崩れている)に移住し、与野八郎と号した」と載せている。 【4】近江の源姓 ― 遠賀郡堅田邑より起こる。堅田兵部少輔広澄は豊臣氏に服事し、二万石を領したが、関ヶ原の戦いに西軍に党して家が断絶した。佐竹氏の一族である片田氏と同族か。 【5】源姓 ― 「寛政系譜」に見える。家紋は五三桐、丸に四つ石。 【6】土佐佐伯姓 ― 土佐(高知県)の豪族で佐伯姓である。次の堅田氏と同流で、豊後より移ったものと考えられる。南北朝の頃、武家方の細川定禅に属し、多くの文書を蔵する。……(中略)この子孫は武田の項を見よ。また「基康の弟・基親(子孫は野本の項)、その弟賢殿(平泉寺長吏)―勝俊―基成」である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
堅田カタダ近江、下野、豐後に此の地名あり、又片田、方田と通じ用ひらる。 1堅田連紀伊の古姓、熊野連の一族か。東寺文書、承和十二年の田券に「那我郡(那賀郡)山前〓狛村、〓長堅田連石成、」なる者·見ゆ。牟婁郡堅田邑より起りしならん。 2堅田氏紀伊國牟婁郡の堅田村より起る。前項氏の後裔か。續風土記、同村要害山岩跡條に「村の東にあり、山本主膳正の家士堅田式部の居城なり」と見ゆ。なほ堅田條第一項參照。 3郡須氏族下野國那須郡方田〓より起る。那須系圖に「郡須太郞責隆-義隆(堅田八郞)」と見ゆ。……又下野國志に「義隆·後興野〓に移住し、與野八郞と號す、」と載せたり。近江の源姓遠賀郡堅田邑より起る。堅田兵部少輔廣澄、豐臣氏に服事し、二萬石を領せしが、關ヶ原戰·四軍に黨して家斷絕す。佐竹氏の族なる片田氏と同族か。 5,源姓寬政系譜に見ゆ、家紋五三桐、丸に四石。 6土佐佐伯姓土佐の豪族にして佐伯姓なり。次の堅田氏と同流にして、豐後より移りしものと考へらる。南北朝の頃、武家方細川定禪に屬し、多くの文書を藏す。……此の子孫タケダ條を見よ。又「基康の弟基親(子孫ノモト條)、その弟賢殿(平泉寺長吏)-勝俊-基成」也。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
堅田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
堅田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
同じくらいの多さの名字
全国順位が堅田の前後にある名字です。
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