園木
そのきSonoki
全国6404位 ・ 約1,480人
園木(そのき)は、彼杵(そのき)とも書く。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- そのき
- ローマ字
- Sonoki
- 全国順位
- 全国6404位
- 推計人数
- 約1,480人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 肥前国(佐賀県・長崎県)
- 肥後国(熊本県)
- 石見国(島根県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
園木(そのき)は、彼杵(そのき)とも書く。肥前国(佐賀県・長崎県)彼杵郡から起こる。この地は「和名抄」に会乃岐と注し、郡内に彼杵郷を収め、曾乃岐と訓ずる。また後に彼杵庄があり、郡全体にわたる。摂家九条家の伝領で、道家処分状には「肥後国(熊本県)彼杵庄」とあるが、これは誤写にすぎない。 後に東福寺領となり、「博多日記」裏書に「東福寺領肥前国彼杵庄御下知御○書訴陳以下目録」とあって、有力な史料である。 【1】紀姓 ― 前述の彼杵○、後の彼杵村から起こる。この地に安全寺大御堂(真言宗)がある。この氏は紀氏の一族で、氏人は「博多日記」裏書に「彼杵弥次○、同弥三郎、同弥六、同七郎、同四席左衛門妻」などと見える。皆、彼杵庄地頭の一人である。 その後、正平応安の彼杵郡一揆連名帳には「彼杵村。彼杵弥土与丸、同○水彦三郎紀○久、同岡五郎紀○種、同島田淵三郎紀○俊の領地なり」とある(この一節は原文の組版が乱れている)。また石見(島根県)にも存する。 その女子が(ある人物の)母であることが「蒲生系図」に見えるので、鎌倉時代からの蒲東の旧族であることが知られる。……(中略)そのほか各項を参照。 (このあと原文は次の見出し「薗倉(そのくら)」の記事に移る)薗倉は、伊勢(三重県)に薗倉庄がある。 薗崎(そのざき)は、北野天神社の社家で菅原姓、高猷を祖とする。「吉見」の項を見よ。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
園木ソノキ彼杵ソノキ肥前國彼杵郡より起る。の地は和名抄に會乃岐と註し、郡内に彼杵郷を收め、曾乃岐と訓ず。又後に彼杵庄あリ、郡一圓に亘る。攝家九條家の傳領にして、道家處分狀には「肥後國被杵庄」とあるは、誤寫に過ぎず。後に東福寺領となる、博多日記裏書に「東福寺領肥前國被杵庄御下知御〓書訴陳以下目錄」ありて、有力なる史料たり1紀姓前述彼杵〓、後の彼杵村より起る。この地に安全寺大御堂(眞言宗)あリ此の氏は紀氏の族にして、氏人は、博多日記裏書に「彼杵彌次〓、同彌三郞、同彌六、同七郞、同四席左衞門妻」等見ゆ。皆彼杵庄地頭の一也。その後、正平應安彼杵郡一揆連名帳には「彼杵村。彼杵彌土與丸、同〓水彥三郞紀〓久、同岡五郞紀〓種、同島田淵三郞紀〓俊の領地也」と石見に存す。母なること、蒲生系圖に見ゆれば、鎌倉時代より蒲東の舊族たるを知る。……其他各條參照。薗倉ソノクラ伊勢に蘭倉庄あり。蘭崎ソノザキ北野天神社の社家にして菅原姓、高猷を祖とす。吉見條を見よ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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園木に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「園」の字を含む名字
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