只木

ただきTadaki

全国8469位 ・ 約969人

只木(ただき)は、遠江・常陸・下野などにこの地名が存する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
ただき
ローマ字
Tadaki
全国順位
全国8469位
推計人数
約969人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

只木をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tadaki読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 遠江国(静岡県)
  • 常陸国(茨城県)
  • 陸奥国(東北地方)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

只木(ただき)は、遠江(静岡県)・常陸(茨城県)・下野(栃木県)などにこの地名が存する。 【1】橘姓 ― また但木氏という。但木顕行の後代、常州但木邑から起こるという。 【2】奥州(東北地方)の只木氏 ― 伊達家臣で、前項の氏と同じ。……(中略)子孫は伊達家の宿老となり、黒川郡吉岡を領した。幕末、只木土佐成行(直行の子)があり、洋学を奨励し、兵制を改革した。 【3】長尾氏族 ― 下野国足利郡多田木城(○田村多田木)は、「康正元年、長尾入道昌賢が居城し、上杉氏に党して、足利成氏に攻められ、ついに陥落した」という。「ながお」条を見よ。 【4】遠江の只木氏 ― 磐田郡の只木村から起こる。天正三年(一に四年)、家康が鏡山光明城を攻略した時、只木村百姓信近・長信の二人が搗栗を献じた。信近は上只来三郎右衛門の祖、長信は下只来平左衛門の祖である。 (このあと原文は次の見出し「忠隈(ただくま)」の記事に移る)忠隈は武藤氏の一族で、「武藤系図」に「売頼―(三男)為頼―顕村(有智山において討死、忠隈と号す)、その弟額村(忠隈八郎、建武五年六月三日、叡山西坂本にて死去)」と見える。 (このあと原文は次の見出し「直椋(だたくら)」の記事に移る)直椋は大和(奈良県)の古姓で、「霊異記」上巻の十六に「大和国添上郡山村中里に、昔、直線家長公あり云々」と見える。 (このあと原文は次の見出し「只庫(ただくら)」の記事に移る)只庫は「鎌倉大草紙」に「武州(東京都・埼玉県)守護代只庫氏春(禅秀御方)」と見える。……(中略) 【2】常陸の只越氏 ― 河内郡(筑波郡)小張城に拠る。「関八州古戦録」に「小張城は小田元庵の旗下只越入道全久の居城なり。天正十四年、多賀谷重経がこれを攻め取る」とあり、「新編国志」に「只越、宮崎城主只越尾張、小張城主只越全久は、共に小田氏治の幕下なり」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

只木タダキ遠江、常陸、下野等に此の地名存す。 1橘姓又但木氏と云ふ。但木顯行の後代··常州但木邑より起ると云ふ。 2奧州の只木氏伊達家臣にして、前項氏に同じ。……子孫·伊達家の宿老に는、黒川郡吉岡を領す。幕末、只木土佐成行(直行の子)あり、洋學を奬勵し、兵制を改革す。 3長尾氏族下野國足利郭多田木城〓田村多田木)は、康正元年、長尾入道昌賢居城し、上杉氏に黨し、足利成氏に攻められ、遂に陷落す」と。ナガヲ條を見よ。 4遠江の只木氏磐田郡の只木村より起る。天正三年(一に四年)、家康·鏡山光明城攻略の時、只木村百姓信近、長信の二人搗栗を獻ず。信近は上只來三郞右衞門の祖.長信は下只來平左衞門の祖也。忠隈タダクマ武藤氏の族にして、武藤系圖に「賣賴-(三男)爲賴-顯村(有智山に於いて討死、忠隈と號す)、其の弟額村(忠隈八郞、建武五年六月三日、叡山西坂本にて死了)」と見ゆ。直椋ダタクラ大和の古姓にて、靈異記上卷の十六に「大和國添上郡山村中里に、昔·直線家長公あり云々、」と見ゆ。只庫タダクラ鎌倉大草紙に「武州守護代只庫氏春(禪秀御方)」見ゆ。……2常陸の只越氏河内郡(筑波郡)小張城に據る。關八州古戰錄に「小張城は小田元菴の旗下只越入道全久の居城なり。天正十四年、多賀谷重經·これを攻め取る」と0新編國志に「只越」宮崎城主只越尾張、小張城主只越全久は、共に小田氏治の幕下なり」と。

姓氏家系大辞典 第4巻 48コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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只木と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

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