十時
とときTotoki
全国5288位 ・ 約1,960人
十時(ととき)は、「日用重実記」にこの読みがある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ととき
- ローマ字
- Totoki
- 全国順位
- 全国5288位
- 推計人数
- 約1,960人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
十時をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Totoki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「十時」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
左一つ巴
弓を射るとき腕に着ける鞆(とも)を象り、三つを渦に組んだ図案。
『姓氏家系大辞典』第4巻 300コマに「家紋左一つ巴」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 豊後国(大分県)
- 長門国(山口県)
- 上総国(千葉県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
十時(ととき)は、「日用重実記」にこの読みがある。 【1】大神姓 ― 豊後発祥の名族で、入倉四郎左衛門大神惟定から出た。「惟定の嫡男・十時長門守惟信、その子・上総惟家、その子・山城惟安、その子・右近大夫惟忠は、永禄七年甲子、筑前国(福岡県)弥須郡の休松の戦いで、槍で胸を貫かれてもなお屈せず、槍を伝って敵に近づき、ついに斬り殺してから息絶えた。時に四十一歳であった。その子・新右衛門(初め左馬助と号す)惟直は休真と号し、朝鮮の役で戦死した。休真の三男・新五郎惟久は、江土合戦で討ち死にした。時に十七歳であった」という。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
十時トトキ日用重實記に此の訓あり。 1大神姓豐後發祥の名族にして、入倉四郞左衞門大神惟定よリ出づ、「惟定が嫡男·十時長門守惟信、其の子上總惟家、其の子山城惟安、其の子右近大夫惟忠·永祿七年甲子、筑前國彌須郡、休松戰の時、鎗を以つて胸を洞して、猶ほ屈せず、鎗を傳て敵に近づき、達に斬殺して後に死す、時に年四十一。其の子新右衞門(初め左馬助と號す)惟直·休眞と號す。朝鮮の役に戰死す。休眞の三男新五郞惟久·江土合戰に討死、時に年十七」なりと。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
十時に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「十」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が十時の前後にある名字です。
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