光井

みついMitsui

全国3418位 ・ 約3,730人

光井(みつき)は、 【1】多々羅姓 ― 周防国熊毛郡光井邑より起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
みつい
ローマ字
Mitsui
全国順位
全国3418位
推計人数
約3,730人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

光井をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Mitsui読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 周防国(山口県)
  • 備後国(広島県)
  • 美作国(岡山県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

光井(みつき)は、 【1】多々羅姓 ― 周防国(山口県)熊毛郡光井邑より起こる。大内弘成の第、貞盛の男・備後守宗貞の後裔である。「後太平記」に光井右京亮が見える。また伝えていうには、田口重如の末孫・右京亮省豊が周防光井庄に住み、大内家に属して門司で戦死した。 その男・兵庫之介尚久の弟である光井修理大夫尚昌は戦功があって美作苦田郡田中庄を領し横田城に居り、田中修理大輔と称した。その男・尚春は高野庄の牧氏を頼り、姓を光井に復した。その男・兵衛尚時は勝田郡広野庄に移ったという。「東作志」には「神楽尾城主・田中修理大夫某の男である光井大夫の灯は、代々堀太郎と称する」と見える。 【2】雑載 ― そのほか長門(山口県)・石見(島根県)・出雲(島根県)・備前(岡山県)・備中(岡山県)などに存する。なお次項を参照。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

光井ミツキ1多々羅姓周防國熊毛郡光井邑より起る。大内弘成の第貞盛の男備後守宗貞の後也。後太平記に光井右京亮·見ゆ。又傳へ云ふ、田口重如の末孫右京亮省豐·周防光井庄に住し、大内家に屬し、門司に戰死す。その男兵庫之介尙久の弟光井修理大夫尙昌·戰功ありて美作苦田郡田中庄を領し橫田城に居り、田中修理大輔と稱す。その男尙春·高野庄牧氏に頼り、姓を光井に復す。その男兵衞尙時·勝田郡廣野庄に移るとぞ。東作志には「神樂尾城主田中修理大夫某の男·光井大夫の燈、世々堀太郞と稱す」と見ゆ。 2雜載その他、長門、石見、出雲、備前.備中等に存す。猶ほ次項參照。

姓氏家系大辞典 第6巻 73コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

光井と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

光井に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が光井の前後にある名字です。

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