菊

下谷

しもたにShimotani

全国2990位 ・ 約4,450人

下谷(したや)は、備前にこの氏がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
しもたに
ローマ字
Shimotani
全国順位
全国2990位
推計人数
約4,450人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

下谷をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Shimotani読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「下谷」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第3巻 247コマに「家紋十六葉裏菊、梅鉢、五七の桐」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 備前国(岡山県)
  • 三河国(愛知県)
  • 近江国(滋賀県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

下谷(したや)は、備前(岡山県)にこの氏がある。……(中略)郡内に設楽郷があって、志多良と注する。 【1】三河伴姓 ― 前述の三河国(愛知県)設楽郡段楽郷より起こる。景行帝の裔・三河大伴部直の後である。 諸系図に大伴家持の裔、伴大納言善男の裔とするのは採るに足らない。その一族・山岡氏の系譜にも二様あって、一つは道臣命の後である大伴氏とする。すなわち伴氏の諸系図に同じ。 近江(滋賀県)・播磨(兵庫県)にこの荘名がある。信太に同じで、「信太(しだ)」の項を見よ。(この先は原文の組版が乱れていて読み取れない) ……方なく合戦を致す。これらは詳しく「後三年記」に見える。薄金の甲はこのとき失ってしまったという。 ―親兼(富永六郎大夫と言い、設楽小六と号し、兼実と改める。弓の上手である。三河大介。保元の戦のとき、義朝の味方として忠を尽くし、継母は篠田兵藤大夫政経らの継母の養子となり、その跡を譲られた)―資策(一腹他姓の妹が通じて生んだ子である) 弟の俊実(設楽太郎、富永介と言う。兼実二十歳の子である。保元合戦、源氏に忠を尽くす。母は伊勢国(三重県)渡会郡外宮神主・石川大夫義元の娘) ―資時(設楽四郎、三州設楽の祖。鎌倉右大将家が奥州(東北地方)において泰衡を追罰したとき、栗原合戦に進み、面を切られながら敵を討った。よって勲功の賞にあずかった。俊実が二十歳のときに生んだ子である)―資権(六男)―貴英……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

下谷シタヤ備前に此の氏あり。……郡内に設樂擲ありて志多良と註す。 1三河伴姓前述三河國設樂郡段樂郷よリ起る。景行帝裔三河大伴部直の後なり。諸系圖に大伴家持の裔、伴大納言善男の裔とするは採るに足らず。其の一族山岡氏の系譜にも二樣ありて一は道臣命の後なる大伴氏とす、卽ち伴氏の諸系圖に同近江、播磨に此の庄名あり。信太に同じ、信太(シタ)條を志多田松江松平藩用人シタシタハ-シタラ二七五九ゝ方なく合戰を致す。此等は委しく後三年記に見ゆ。薄金甲は此の時に失ひ畢ると云ふ)-親兼(富永六郞大夫と云ひ、設樂小六と號し、兼實と改む。弓の上手也。三河大介。保元戰の時、義朝の味方に於いて忠を致し、繼母は篠田兵藤大夫政經らわら繼母の養子となり、其の跡を讓られ擧る)-資策(一腹他姓之妹通爲生子也)、第俊實(設樂太郞、富永介と云ふ。兼實廿歲の子也。保元合戰、源氏に忠を致す。母は伊勢國渡會郡外宮神主石川大夫義元の娘)-資時(設樂四郞、三州設樂祖。鎌倉右大將家、奧州に於いて秦街を追罸するの時、栗原合戰に進み、面を切られ敵を打つ。仍りて動賞に預り訖る。俊實が廿歲の時に生める子也)-資權件六)-貴英……

姓氏家系大辞典 第3巻 246コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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