高森
たかもりTakamori
全国1142位 ・ 約1.6万人
高森(たかもり)は、相模・常陸・陸前・越後・周防・肥後などにこの地名が存する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- たかもり
- ローマ字
- Takamori
- 全国順位
- 全国1142位
- 推計人数
- 約1.6万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.013%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
高森をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Takamori読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 相模国(神奈川県)
- 陸前国(宮城県・岩手県)
- 越後国(新潟県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
高森(たかもり)は、相模(神奈川県)・常陸(茨城県)・陸前(宮城県・岩手県)・越後(新潟県)・周防(山口県)・肥後(熊本県)などにこの地名が存する。 【1】藤原姓伊沢氏族 ― 陸前国宮城郡高森館(岩切城)から起こる。余目留守氏のことで、「余目旧記」に「宮城殿の継ぎ目、そのほか所帯の時は、まず高森殿と申す」とあり、また「伊達世臣家譜」に「留守氏、上野介正景に至って高森氏と称する」とある。詳細は伊沢・留守・余目などの項を見よ。 【2】肥後の高森氏 ― 阿蘇郡の高森邑から起こる。阿蘇大宮司配下の将で、両高森として勢いがあった。天正中、高森惟直が高森城に居り、十二年、島津中書家久の兵と戦った。惟直は支えきれず豊後(大分県)に走って大友氏に頼り、ついに回復の業を成した。豊臣氏が阿蘇家を没落させるに及び、それに従って滅んだ。 【3】雑載 ― 紀伊(和歌山県)の名医に高森正因があり、そのほか備前(岡山県)・信濃(長野県)・石見(島根県)などに多く存するという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
高森タカモリ相摸、常陸、陸前、越後、周防、肥後等に此の地名存す。 1藤原姓伊澤氏族陸前國宮城郡高森館(岩切城)より起る。餘目留守氏の事にて、餘目舊記に「宮城殿つぎ目、其の外、所帶の時は、まづ高森殿と申す」と又伊達世臣家譜に「留守氏、上野介正景に至りて、高森氏と稱す」と。詳細は伊澤、留守、餘目等の條を見よ。 2肥後の高森氏阿蘇郡の高森邑より起る。阿蘇大宮司配下の將にして、兩高森とて勢あり。天正中、高森惟直·高森城に居リ、十二年、島津中書家久の兵と戰ふ。惟直支へ難く、豐後に走り、大友氏に倚り、遂に囘復の業を成す。豐臣氏の阿蘇家を沒倒するに及び、隨ひて亡ぶ。 3雜載紀伊の名醫に高森正因、その他、備前、信濃、石見等に、多く存すとぞ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
高森と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
高森に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「高」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が高森の前後にある名字です。
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