九曜

飯高

いいだかIidaka

ほかの読み: いいたか

全国3530位 ・ 約3,560人

飯高(いいだか)は、伊勢国飯高郡から起こる。

4件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
いいだか ・ いいたか
ローマ字
Iidaka
全国順位
全国3530位
推計人数
約3,560人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

飯高をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Iidaka読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「飯高」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 284コマに「家紋並九曜、三龜甲」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 伊勢国(三重県)
  • 紀伊国(和歌山県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

飯高(いいだか)は、伊勢国(三重県)飯高郡から起こる。飯高は「和名抄」に伊比多加と注し、その東隣の飯野郡は伊比野と注す。この郡名ならびに二郡内「和名抄」古○里の調査から考えると、もとこの地方はこれを飯(いい)といい、その飯国の高地を飯高と称え、低地を飯野と称したもので、 式内・意悲神社(今の松坂神社)は「お飯」の神社で、飯国名称の起源地と想像される。おそらく飯高県造の治所があった地であろう(「お」は接頭語、「ひ」は飯である。紀伊日高郡を大宝三年紀に飯高郡とあるのを思え)。飯高氏は古代から中古にわたる大族である。 【1】飯高県造 ― 飯高県は後の飯高郡の地である。この県造のことは、「倭姫命世記」に「二十二年癸丑、飯野高宮に遷り、四箇年斎き奉る。時に飯高の県造の祖・乙加豆知命に、汝が国の名は何かとお問いになる。答えて意須比飯高国と申して、神田ならびに神戸を進める」と載せ、 「皇太神宮儀式帳」にも同様の記事○(いいだか受美)がある。その氏姓を飯高君という。天平十四年四月紀に「伊勢国飯高郡采女・正八位下飯高君笠目の親族の県造ら、皆飯高君姓を賜う」と見える。 これらによれば、県造の宗族のみを飯高君といっていたが、この時に同族皆が君姓を賜ったものと考えられる。笠目のことは後にいう。 【2】飯高君 ― 飯高県造の宗族で、大和春日氏の一族である。「古事記」孝昭段に「天押帯日子命は大春日臣、伊勢飯高君・壱君などの祖である」と見える。奈良朝に至り宿禰姓を賜り、平安朝に至り朝臣姓を賜った者がある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

飯高イヒダカ伊勢國飯高郡より起る。飯高は和名抄伊比多加と註し、その東隣飯野郡は伊比野と註す。此の郡名並に二郡内和名抄古〓里の調査より考ふるに、もと此の地方は之を飯(イヒ)と云ひ、其の飯國の高地を飯高と稱へ、底地を飯野と稱せしものにして、式内意悲神社(今の松坂神社)は(オ)飯の神社にて飯國名稱の起原地と想像せらる。蓋し飯高縣造の治所のありし地ならん。(オは接頭語、ヒは飯なり、紀伊日高郡を大賣三年紀に飯高郡とあるを思へ、)飯高氏は古代より中古に亘れる大族なり。 1飯高縣造飯高縣は後の飯高郡の地なリ此の縣造の事は、倭姫命世記に「廿二年癸丑、飯野高宮に遷り、四箇年齋き奉る。時に飯高の縣造祖乙加豆知命に、汝が國の名、何と問ひ賜ふ。白さく意須比飯高國と白して、神田並に神戶を進む、」と載せ、皇太神宮儀式帳にも同樣の記事イヒタカ受美あり。其の氏姓を飯高君と云ふ。天平十四年四月紀に「伊勢國飯高郡釆女正八位下飯高君笠目の親族縣造等、皆飯高君姓を賜ふ、」と見ゆ。此等に據れば縣造の宗族のみを飯高君と云ひしが、此の時に同族皆君姓を賜ひしものと考へらる。笠目の事は後に云ふべし。 2飯高君飯高縣造の宗族にして、大和春日氏の一族なり。古事記、李昭段に「天押帶日子命は大春日臣、伊勢飯高君壹君云々の祖也」と見ゆ。奈良朝に至り宿福姓を賜ひ、平安朝に至リ朝臣姓を賜へるものあり。

姓氏家系大辞典 第1巻 284コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

この名字の人々

同じ漢字を使う名字

飯高に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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