藤

鎌形

かまがたKamagata

全国3346位 ・ 約3,830人

鎌形(かまがた)は、武蔵国男衾郡(比企郡)鎌形邑(釜形郷)より起こったものか。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
かまがた
ローマ字
Kamagata
全国順位
全国3346位
推計人数
約3,830人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

鎌形をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kamagata読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「鎌形」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第2巻 281コマに「家紋藤巴、井に二振鎌」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 大和国(奈良県)
  • 土佐国(高知県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

鎌形(かまがた)は、武蔵国(東京都・埼玉県)男衾郡(比企郡)鎌形邑(釜形郷)より起こったものか。鹿島大祢宜系図に「鎌形左衛門太郎」と見える。……(中略) (このあと原文は次の見出し「鎌苅(かまかり)」の記事に移る) 鎌苅には次の二流がある。 【1】卜部姓 ― 大和鎌田系図に「天児屋根命十七代卜部鎌大夫の苗裔、家紋は藤巴、ならびに二振鎌。筒井氏の一族」とあり、鉄狩左衛門介卜部氏綱(後に治部少輔と号す。和州(奈良県)葛下郡鎌田村に居す。母は慧明寺土佐守の娘)―鎌狩左衛門大夫卜部氏治(多武峰妙楽寺のあたりに居住し、大織冠鎌足大明神に給仕した。 永禄十二年、当社大明神が吉野山へ奉遷の時に供奉し、元急二年、多武峰へ御返還。天正十六年、当社大明神は同国添下郡郡山へ奉遷、大和大納言殿の御代である。同十八年に御返遷した。一説に慶長二年御返還ともいう)」とある。 また氏治の弟「卜部直豊(毎年妾腹楠原氏の娘である。後に松村仁左衛門、法名懐阿弥。室は松倉弥七郎の娘)―松村兵右衛門直能(後に仁右衛門と称す。法名量阿弥禅士。筒井順慶公に仕え、数度の軍功があった)」とある。 【2】源姓 ― 周防熊毛郡の台族で、「海東諸国記」に「義就、丁亥年、使を遣わし来たりて製音現像を賀し、書して周防州上関大守鎌苅源義就」とある。 (このあと原文は次の見出し「鎌木(かまき)」の記事に移る) 鎌木は……(この先は原文の行が崩れて読み取れない) (このあと原文は次の見出し「鎌范(かまくさ)」の記事に移る) 鎌范は津軽にある。 (このあと原文は次の見出し「竈口(かまぐち)」の記事に移る) 【1】竈口君 ― 日本武尊の裔で、「天皇本紀」成務帝条に「葦敢竈見別命は竈口君らの祖」と見える。竈口は相模鎌倉と同じか。「鎌倉」の項を参照。再考するに、次の大和の釜口であろう。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

鎌形カマガタ武藏國男衾郡(比企郡)鎌形邑(釜形郷)より起りしか。鹿島大福宜系圖に「カマガタ左衞門太郞」見ゆ。……カマカリ次の二流あり。ト部姓大和鎌田系圖に「天兒屋根命十七代ト部鎌大夫の苗裔、家紋藤巴、井に二振鎌。筒井氏の族。鐵狩左衞門介ト部氏綱(後に治部少輔と號す。和州葛下郡鎌田村に居す。母慧明寺土佐守の女)-鎌狩左衞門大夫ト部氏治(多武峰妙樂寺邊に居住す。大織冠鎌足大明神に給仕す。永祿十二年、當社大明神·吉野山へ奉遷の時供奉。元急二年多武峰へ御返還。天正十六年、當社大明神同國添下郡郡山、奉遷、大和大納言殿の御代なり。同十八年に御返遷也。一說に慶長二年御返還と云ふ)」と。又氏治の第「ト部直豐(每年妾腹楠原氏の女也。後松村仁左衞門、法名懷阿彌。室は松倉彌七郞女)-松村兵右衞門直能(後に仁右門門と贊す。法名量阿彌禪士。筒井順慶公に仕へ、數度軍功これ在り」と。 2源姓周防熊毛郡の臺族にして、海東諸國記に「義就、丁亥年、使を遣はし來りて製音現像を賀し、書して周防州上開大守鎌苅源義就」と。鎌木カマキ鎌范カマクサ津輕にあり。竈口カマグチ○竈口君日本武尊の裔にして、天皇本紀、成務帝條に「葦敢竈見別命は竈口君等の祖」と見ゆ。竈口は相摸鎌倉と同じきか。鎌倉條參照。再按するに、次の大和の釜口ならん。

姓氏家系大辞典 第2巻 281コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

鎌形に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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全国順位が鎌形の前後にある名字です。

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