赤谷

あかたにAkatani

全国7834位 ・ 約1,100人

赤谷(あかたに)は、越後国北蒲原郡赤谷村から起こった。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
あかたに
ローマ字
Akatani
全国順位
全国7834位
推計人数
約1,100人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

赤谷をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Akatani読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 越後国(新潟県)
  • 備中国(岡山県)
  • 大和国(奈良県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

赤谷(あかたに)は、越後国(新潟県)北蒲原郡赤谷村から起こった。桓武平氏城氏の一族だろうかという。室町時代に赤谷左衛門秀勝があり、三条城主・長尾俊景の乱に見付城を守った。 (このあと原文は次の見出し「県主」の記事に移る) 県主(あがたぬし)は、上古の地方官で県を領した。県は後世の郡にあたるので、県主は郡領に相当し、小国造と家格を異にするだけである。その姓は多くは「首」で、「直」を賜ったものは国造に准じられたものである。 詳細は拙著「社会組織の研究 第五編第三章」を見よ。 この県主は古くは官職であるから、姓とは区別すべきである。しかし後世は姓のように、いや姓として一般に使用されたのみならず、その氏を称さずに県主という名称をそのまま氏としたものが少なくない。次に列記するのは皆それである。 地名としては、「和名抄」備中国(岡山県)後月郡に県主○があり、安加多と注する。これによって県主の治所を単にあがたと言ったことを証明できる。この地は後世「門葉記」に見える県主保だろう。 次に神社としては、伊勢鈴鹿郡に県主神社、また加茂郡に県主神社が共に式内に列しており、いずれもその地の県主の氏神であるとする。 【1】中臣氏流 ― 天平神護元年二月の記事に「大和国(奈良県)添下郡の人・左大舎人大初位下県主石前に、姓を添県主と賜う」と見える。添県主は「姓氏録」によれば津速魂命の男・武乳遺命の後裔で、すなわち中臣氏と同祖である。 【2】武部流 ― 「姓氏録」和泉皇別に「県主、和気公と同祖の日本武尊の後」とある。また水和三年二月の記事に「和泉国(大阪府)人、遣唐使准録事・県主益雄、文散位・文自らに、姓を和気宿禰と賜う。本居を改めて右京二条二坊に貫付する」と見える。詳しいことは和気氏の項を見よ。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

赤谷アカタニ越後國北蒲原郡赤谷村より起る。恒武平氏城氏の族ならんかと云ふ。室町時代赤谷左衞門秀勝あり、三條城主長尾俊景の亂に見附城を守る。縣主アガタヌシ上古の地方官にして縣を領す、縣は後世の郡なれば縣主は郡領に相當し、小國造と家格を異にするのみ。其姓は多く首にして、直を賜はれるは國造に准ぜられたるものなり。詳綱は拙著社會組織の〓究第五編第三章を見よ。此縣主は古くは官職なれば姓と區別すべきなり。されど後世は姓の如く、否姓として一般に使用されたるのみならず、其の氏を稱せずして縣主なる名稱を直ちに氏としたるもの少からず。次に列記せるは皆其なり。〓名としては和名抄備中國後月郡に縣主〓あり安加多と註す、以つて縣主の治所を單にアガタと云ひしを證すべし。この地は後世門葉記に見ゆる縣主保ならん。次に神社としては伊勢鈴鹿郡に縣主神社、また加茂郡に縣主神社共に式內に列す、皆その地縣主の氏神なりとす。 1中臣氏流天平神護元年二月紀に「大和國添下郡人左大舍人大初位下縣主石前姓を添縣主と賜ふ」と見ゆ。添縣主は姓氏錐によれば津速魂命の男武乳遺命の後裔即中臣氏と同祖なり。 2武部流姓氏錐、和泉皇別に「縣主、和氣公の同祖日本武尊の後也」また水和三年二月紀に「和泉國人、遣唐使准錄事縣主益雄、文散位文自等、姓を和氣宿禰と賜ふ。本居を改めて右京二條二坊に貫附す」と見ゆ。詳なる事は和氣氏條を見よ。

姓氏家系大辞典 第1巻 20コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

赤谷に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が赤谷の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →