藤生
ふじうFujiu
全国2979位 ・ 約4,470人
藤生(ふぢふ)は、山城などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ふじう
- ローマ字
- Fujiu
- 全国順位
- 全国2979位
- 推計人数
- 約4,470人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
藤生をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Fujiu読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 山城国(京都府)
- 紀伊国(和歌山県)
- 美作国(岡山県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
藤生(ふぢふ)は、山城(京都府)などにこの地名がある。 【1】源姓 ― 上野(群馬県)の豪族であり、新田由良家の執事であった。元亀三年、桐生城は由良成繁の手に入り、二の丸に藤生紀伊を置いた(「国志」)という。また天正元年二月、新田勢藤生紀伊守(「新田老談記」)、また「古戦録」に「天正七年、藤生紀伊守は新田の命を受けて、将として塩原表に打って出た」とある。 【2】菅家族 ― 美作国(岡山県)吉野郡の名族であり、粟井氏配下の将である。元亀・天正の頃、粟井荘城主に藤生筑前守がある。「垂井」の項を参照。また「新免家記」に「粟井の一族・藤生新兵衛」、豊福家古書に「粟井家臣八名、藤生善兵衛」、「東作志」勝北郡に「小吉野荘河原邑諏訪社々人・藤生祐之」らが見える。 【3】雑載 ― そのほか播磨(兵庫県)・摂津(大阪府・兵庫県)・武蔵(東京都・埼玉県)などにも存するという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
藤生フヂフ山城等に此の地名あり。 1源姓上野の豪族にして、新田由良家の執事たり。元亀三年、桐生城は由良成繁の手に入りて、二の丸に藤生紀伊を置く(國志)と又天正元年二月、新田勢藤生紀伊守(新田老談記)、また古戰錄に「天正七年、藤生紀伊守は新田の命を含み、將として鹽原表に打つて出づ」と。 2菅家族美作國吉野郡の名族にして、粟井氏配下の將也。元龜天正頃、粟井庄城主に藤生筑前守あり、垂井條參照。又新免家記に「粟井の一族藤生新兵衞」、豐福家古書に「粟井家臣八名、藤生善兵衞」、東作志、勝北郡「小吉野庄河原邑諏訪社々人·藤生祐之」等見ゆ。 3雜載その他、播磨、攝津、武藏等にも存すとぞ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
藤生に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
同じくらいの多さの名字
全国順位が藤生の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
