荻田

おぎたOgita

全国2139位 ・ 約6,960人

荻田(おぎた)は、次の数流がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おぎた
ローマ字
Ogita
全国順位
全国2139位
推計人数
約6,960人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 越後国(新潟県)
  • 越前国(福井県)
  • 丹後国(京都府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

荻田(おぎた)は、次の数流がある。 【1】越後(新潟県)の萩田氏 ― 当国の名族で、長尾氏景公の御家中に萩田氏がみえる。後に萩田主馬があり、上杉氏に仕えて糸魚川城主であったが、後に浪人して越前家に仕えた。「北越治乱記」に次のようにある。 「萩田の初代・主馬の子孫である孫十郎長繁は勇名があった。天正七年、府中兵乱のとき、十六歳で北条丹後守へ鍵を渡し、初めての高名であった。父の主馬は糸魚川の城代であり、孫十郎がその跡目を賜った。その子もまた孫十郎といい、景勝の近習に召し使われていたが、文禄三年、聚楽で孫十郎が外郎(薬の名)を落としたことにより、武士の法に背くとして、主馬父子は上杉家を立ち退かされた。孫十郎は後に越前一伯殿のもとに身を寄せ、父の名である主馬を継いだ」

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

荻田ヲギタ次の數流あり。 1越後の萩田氏當國の名族にして長尾氏景公御家中に萩田氏見ゆ。後萩田主馬あり、上杉氏に仕へ、絲魚川城主なりしが、後浪人して越前家に仕ふ。北越治亂記に「(萩田)初代主馬の子孫十郞長繁勇名あり、天正七年府中兵亂の時、十六歲にて、北條丹後守へ、鍵を附、初めての高名也。父主馬は絲魚川の城代なり、孫十郞其の跡目を賜はる。其子又孫十郞と云ひ、景勝の近習に召仕はれしが、文祿三年聚樂にて孫十郞外郞(藥の名)を落しけるに依り、武士の法に背くとて、主馬父子上杉家を立退かしめらる。孫十郞後越前一伯殿にありつき、父の名主馬を繼ぐ」とあり。

姓氏家系大辞典 第1巻 449コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

荻田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →