藤

芳野

よしのYoshino

全国2023位 ・ 約7,520人

芳野(よしの・はうの・ほうの)は、前の項を参照。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
よしの
ローマ字
Yoshino
全国順位
全国2023位
推計人数
約7,520人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

芳野をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Yoshino読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「芳野」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第6巻 426コマに「家紋は藤の丸」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 淡路国(兵庫県)
  • 肥後国(熊本県)
  • 大和国(奈良県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

芳野(よしの・はうの・ほうの)は、前の項を参照。また大和(奈良県)・淡路(兵庫県)・肥後(熊本県)などにこの地名がある。 【1】芳野朝臣 ― 前項第四項の氏の一族か。大間書にこの氏の人がある。 【2】日輪族 ― 大和国宇陀三将の一つで、宇陀郡宇賀志村の東○(地名)に拠り、天日槍の子・春山霞壮夫の子孫と伝えられる。戦国時代、筒井氏に属した。家紋は藤の丸。 早くも正和四年の若宮神主祐臣祭礼記に「流鏑馬十騎、芳野二騎」と載せ、「勢州(三重県)四家記」に「和州宇陀三人衆・芳野」と見える。また芳野又左衛門○○など多く、「国民郷士記」には「東郷、山城(京都府)、芳野宮内」と見え、また「筒井惣麾下、芳野又左衛門○兼、与力(檜牧主殿、勝山清助)」とある。 また「宇陀郡芳野宮内少輔(紋は藤の丸、春霞壮の末、宇陀三将の中である。異本には『紋は藤の丸、宇陀の三家という。春霞の壮の末裔、村居に城跡がこれ有り』とある)、芳野亦蔵(異本には、この下に『筒井主殿頭、郡山落城後、福住は加勢』と記している)」とある(「大和志料」)。 【3】源姓 ― 下総国(千葉県・茨城県)葛飾郡松崎の名族である。南朝の忠臣の子孫で、南北合一後、当国に来てこの氏を称したと伝える。 ……(中略)その長男・克、次男・世育(恩三郎、立蔵)は金陵と号し、三男を道紀という。金陵は最も名高く、その男・新一郎世行(秀六郎)は桜陰と号した、幕末の志士である。弟を世経という。 【4】雑載 ― そのほか、鯖江藩士に芳野軽平が見え、また武蔵(東京都・埼玉県)などに存する。 (このあと原文は次の見出し「吉埜(よしの)」「義野(よしの)」の記事に移る) 吉埜は前二項の氏に同じ。義野も同上で、武蔵などに見える。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

芳野ヨシノハウノホウノ前條參照又大和、淡路、肥後等に此の地名あり。 1芳野朝臣前條第四項氏の族か。大間書に此の氏人あり。 2日輪族大和國字陀三將の一にして、宇陀郡宇賀志村東〓蟲に據り、天日槍の子春山霞壯夫の裔と傳へらる。戰國時代、筒井氏に屬す。家紋は藤の丸。早く正和四年若宮神主祐臣祭禮記に「流鑛馬十騎、芳野二騎」と載せ、勢州四家記に「和洲字陀三人衆·芳野」と見ゆ。又芳野又左衞門〓〓等多く、國民郷士記には「東郷、山城、芳野宮内」と見え、又「筒井惣麾下、芳野又左衞門〓兼、與力(檜牧主殿、勝山清助)」と。又「宇隆郡芳野宮内少輔(紋は藤の丸、春霞壯の末書字陀三將の中也。異本には『紋は藤の丸、宇陀の三家と云ふ。春霞の壯の末隊、村居に城跡·これ有り』と)、芳野亦藏(異本には、此の下に『筒井主殿頭·郡山落城後、福住は加勢』と記せり)」ど(大和志料)。 3源姓下總國葛飾郡松崎の名旗也。南朝の忠臣裔、南北合一後、當國に來り、此の氏を稱すと傳ふ。……その長男克、次男世育(恩三郞、立蔵)は金陵と號し、三男を道紀と云ふ。金陵·最も名高く、その男新一郞世行(秀六郞)は櫻陰と號す、幕末の志士也。弟を世經と云ふ。 4雜載その他、鯖江藩士に芳野輕平·見え、又武藏等に存す。吉埜ヨシノ前二條氏に同じ。義野ヨシノ同上。武藏等に見ゆ。

姓氏家系大辞典 第6巻 426コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

芳野と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

芳野に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が芳野の前後にある名字です。

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