糸川
いとかわItokawa
全国2652位 ・ 約5,240人
糸川(いとかわ)は、藤原姓と称する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- いとかわ
- ローマ字
- Itokawa
- 全国順位
- 全国2652位
- 推計人数
- 約5,240人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
糸川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Itokawa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「糸川」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
茗荷
ミョウガの花穂を二つ、向かい合わせに抱かせた図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 232コマに「家紋魚のう抱囊荷、紀伊續風土記海部都濱中莊信濃、志摩にあり」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 紀伊国(和歌山県)
- 信濃国(長野県)
- 志摩国(三重県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
糸川(いとかわ)は、藤原姓と称する。「寛政重修諸家譜」も藤原氏の支流に収め、安長から系図がある。家紋は魚魚抱嚢荷。「紀伊続風土記」に海部郡浜中庄、また信濃(長野県)・志摩(三重県)にこの氏があるという。……(中略)糸崎氏は清和源氏であるという。 (このあと原文は次の見出し「糸桜(いとざくら)」、続いて「伊登志部(いとしべ)」の記事に移る) 伊登志部は、古代の御子代部である。「古事記」垂仁段に「伊登志和気王は子がなかったので、子代として伊部を定めた」とある。ここでいう伊部とは伊登志別王の御名代のことで、次に述べる胆年部というものが「安閑紀」に見えることから、登志の二字が脱落して伊部となったのではないかと推測される。ただし伊部という品部には伊登部というものもあり、早くから省略されていたものか。 胆年部(いとしべ)は伊登志部に同じ。「安閑紀」に「婀娜国に胆年部屯倉を置く」と見える。伊登志和気王のために設けた伊登志部の領地を屯倉としたものであろう。婀娜国とは「国造本紀」に見える吉備の穴国と同一で、備後国(広島県)安那郡の地名である。 (このあと原文は次の見出し「糸島(いとしま)」の記事に移る) 糸島は、筑前国(福岡県)糸島から起こる。「海東諸国記」に「道京は戊子年に使者を遣わして来朝した。書には筑前州糸島大守大蔵氏道京と称する。宗貞国の請いによって接待した」と見える。原田氏の一族であろう。 (このあと原文は次の見出し「糸瀬(いとせ)」、続いて「糸田(いとだ)」の記事に移る) 糸田は、豊前国(福岡県・大分県)田川郡糸田から起こったものか。ただし筑後国(福岡県)糸田であるようにも考えられる。九州探題北条氏の一族で、「中興武家系図」に「糸田、平姓、北条遠江守時政七代の孫左近将監貞義、これを称す」と載せている。何によったか詳らかではないが、おおよそ実を得ている。貞義は規矩掃部助高政の舎弟である上総介政顕の子で、上総左近将監と称した。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
糸川イトカハ藤原姓と稱す、寛政系譜も藤原支流に收め、安長より系あり、家紋魚のう抱囊荷、紀伊續風土記海部都濱中莊信濃、志摩にあり。……か。糸崎氏は〓和源氏なりと云ふ。糸櫻イトザクラ伊登志部イトシペ古代の御子代部なリ。卽ち古事記垂仁段に「伊登志和氣王は子なきによりて、子代として伊部を定む」と見えたり。此の伊部とあるは伊登志別王の御名代にして、次に云ふ如く膽年部と云ふもの安閑紀に見ゆれば、登志の二字脫落して伊部となりしや想像するに難からず。但し伊部と云ふ品部も伊登部と云ふもあり早くより省略に從ひしものか。膽年部イトシベ伊登志部に同じ。安閑紀に「婀娜國膽年部屯倉を置く」と見ゆ。蓋し伊登志和氣王の爲に設けし伊登志部領を以つて屯倉とせられしならむ。婀娜國とは國造本紀に見ゆる吉備の穴國と同一にして、備後國安那郡の地名なり。糸嶋イトシマ筑前國糸嶋より起る。海東諸國記に「道京、戊子年、使を遣はし來朝す。書して筑前州絲嶋大守大藏氏道京と稱す。宗貞國の請を以つて接待す」と見ゅ。原田氏の一族なるべし。絲瀨イトセ糸田イトダ豊前國田川郡条田より起りしか、但し筑後國絲田なるが如くも考へらる。九州探區北條氏の一族にして中興武家系圖に「絲田、平姓、北條遠江守時政七代左近將監貞義、稱之」と載せたり。何に據りしか詳かならざれど略ぼ實を得たり。貞義は規矩掃部助高政が舍弟上總介政顯が子にして、上總左近將監と稱す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
糸川に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「糸」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が糸川の前後にある名字です。
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