相賀
あいがAiga
全国6789位 ・ 約1,370人
相賀(あふか・あうか)は、地名としては諸国に多いが、ここでは紀伊国伊都郡相賀庄および常陸国行方郡相賀邑から起こったものを扱う。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- あいが
- ローマ字
- Aiga
- 全国順位
- 全国6789位
- 推計人数
- 約1,370人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 紀伊国(和歌山県)
- 常陸国(茨城県)
- 伊勢国(三重県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
相賀(あふか・あうか)は、地名としては諸国に多いが、ここでは紀伊国(和歌山県)伊都郡相賀庄および常陸国(茨城県)行方郡相賀邑から起こったものを扱う。 【1】坂上氏流 ― 紀伊の相賀庄から起こる。……(中略) 「今昔物語」に「紀伊国伊都郡に坂上○澄という者があり、武芸の道にきわめて優れていた」と見えるのは、この同族であろう。なおこの地に坂上基澄・長澄などがあり、相賀氏にほかならない。……(中略) 【2】常陸大掾氏流 ― 行方郡相鹿から起こる。常葉義政の後裔である相賀氏は、この地の根小屋によって天正末まで続いたという。鹿島社の嘉元四年の文書に「相鹿○平氏」とあるのは、この氏であろう。 【3】秀郷流藤原氏 ― 常陸国久慈郡過鹿から起こる。小野崎氏の一族である。 (このあと原文は次の見出し「逢鹿(あふか)」の記事に移る) 逢鹿は、「和名抄」に常陸国行方郡に逢鹿郷があり、後世に相賀という。前項の氏と同じである。 (このあと原文は次の見出し「相可(あふか)」の記事に移る) 相可は、「和名抄」に伊勢国(三重県)多気郡に相可郷を収め、また「神名帳」に同郡の相鹿上神社を載せる。大鹿氏の居所であり、神社はその氏神であろう。「おおか」の項を参照。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
相賀アフカアウカ相賀の地名諸國に多けれど、こは紀伊國伊都郡相賀庄及び常陸國行方郡相賀邑より起しなり。 1坂上氏流紀伊の相賀庄より起る。……今昔物語に「紀伊國伊都郡に坂上〓澄と云ふ者、兵の道に極めて緩び無かりけり」と見ゆるは此の同族ならん。なほ此の地に坂上基澄、長澄等あり、相賀氏に外ならず。……2常陸大掾氏流行方郡相鹿より起る、常葉義政の後裔相賀氏、この地、根小屋に據りて天正末まで相續すと云ふ。鹿島社嘉元四年の文書に「相鹿〓平氏」とあるは此の氏ならむ。 3秀〓流藤原氏常陸國久慈郡過鹿より起る、小野崎氏の一族なり。逢鹿アフカ和名抄常陸國行方郡に逢鹿郷あり、後世相賀と云ふ。前條氏に同じ。相可アフカ和名抄伊勢國多氣郡に相可〓を收め、又神名帳當郡に相鹿上神社を載す。大鹿氏の居にして神社は其の氏神ならむ、オホカ條を見よ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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相賀に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「相」の字を含む名字
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