毎田
まいたMaita
全国9796位 ・ 約770人
毎田(まいた)は、「太平記」巻九に、毎田三郎という士があり、近江番場で死んだとある……(この先は原文の行が崩れて読み取れない)。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- まいた
- ローマ字
- Maita
- 全国順位
- 全国9796位
- 推計人数
- 約770人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 近江国(滋賀県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 陸前国(宮城県・岩手県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
毎田(まいた)は、「太平記」巻九に、毎田三郎という士があり、近江番場で死んだとある……(この先は原文の行が崩れて読み取れない)。また望東・望陀静(大尉)があり、武蔵(東京都・埼玉県)の人である。 望多(もうた)は、「和名抄」に陸前国(宮城県・岩手県)日理郡に望多郷があり、萬宇多と注する。……(中略) 望東(もうとう)は、上総国(千葉県)望陀郡東部の意で、望東郡という私称がある。鎌倉円覚寺○○二十六年(年号は原文が崩れて判読できない)の文書に「望東郡金田保」を載せ、また望東荘と見える。 頼朝が房総を征服した際、この国の豪族にこの氏が見え、「源平盛衰記」に「上総介広常は、佐殿への参上を恐れて、常国に井の北、井の南、慶の北、庁の南、マウ四、マウ東から始めて、国中の者たちで、背く者は討ち、従う者は引き連れて、一万余騎で下総国(千葉県・茨城県)府に来る」とあり、 また「長門本平家物語」に「望四、望東、畔蒜、ホリクチ、ムサ、山辺の者どもが、平家方であって、強い者たちを、押し寄せ押し寄せて、これを討ち取る」云々とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
毎田マイタ太平記卷九に、每田三郞あの士にして、近江番場に死一。ます。及び望東望陀靜(大尉)あり、武藏の人也。望多マウタ和名抄、陸前國日理郡に望多〓あり。萬宇多と註す。……望東マウトウ上總國望陀郡東部の意にして、望東郡の私稱あり。鎌倉圓覺寺隠水二十六年の文書に「望東郡金田保」を載せ、又望東莊と見ゆ。頼朝·房總征服の際、當國の豪族に此の氏見え、源平盛衰記に「上總介廣常は、佐殿へ運參を恐れて、常國に井の北、井の南、慶の北、廳の南、マウ四、マウ東より始めて、國中の輩、背くをば打ち.隨ふをば相具して、一萬餘騎にて、下總國府に來る」と載せ、又長門本平家物語に「望四、望東、畔蒜、ホリクチ、ムサ、山べの者共、平家方人にして、强き輩をば、押寄せ押寄せ、是を討取る」云々とあり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
毎田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
毎田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「毎」の字を含む名字
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