枝川

えだがわEdagawa

全国4478位 ・ 約2,490人

枝川(えだかは)は、常陸国那珂郡枝川邑より起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
えだがわ
ローマ字
Edagawa
全国順位
全国4478位
推計人数
約2,490人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

枝川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Edagawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 常陸国(茨城県)
  • 河内国(大阪府)
  • 播磨国(兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

枝川(えだかは)は、常陸国(茨城県)那珂郡枝川邑より起こる。二流がある。 【1】常陸大掾族 ― 常陸大掾系図に「馬場資幹 ― 時幹(枝川五郎)」と見え、「新編国志」にも同様に見える。 【2】秀郷流藤原姓江戸氏流 ― 前項の枝川邑・枝川館に拠る。江戸通房の四男・通弘(枝川彦四郎河内守)を祖とする。子孫はここにあり、重氏(播磨守)に至って天正十八年庚寅十二月十九日、佐竹義重に攻撃されて滅んだ。 「新編国志」に「枝川は那珂郡枝川村より起こる。通房の五男・通信(通弘)、彦四郎、河内守。子・通衡、新三郎、枝川氏となる……(この先は原文の系図が崩れていて読み取れない)子は重氏という」とある。 枝口(えだぐち)は、(このあと原文は次の見出し「枝久保(えだくぼ)」の記事に移る)武蔵(東京都・埼玉県)の名族で、入間郡中神村三輪明神社の神職である。慶安の頃より代々その職を務めたという(「風土記稿」)。……(中略) 山城(京都府)の計帳と思われる正倉院文書に、依当直時売という人が見える。依当は地名であろう。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

枝川エダカハ常陸國那珂郡枝川邑より起る。二流あり。 1常陸大掾族常陸大掾系圖に「馬場資幹-時幹(枝川五郞)」と見え、新編國志にも同樣見ゆ。 2秀〓流藤原姓江戶氏流前項枝川邑枝川館に據る。江戶通房の四男通弘(枝川彦四郞河内守)を祖とす。子孫此に在り、重氏(播磨守)に至リ天正十八年度寅十二月十九日、佐竹義重の攻擊する所となりて亡ぶ。新編國志に「枝川、那珂郡枝川村より起る。通房五子通信(通弘)彥四耶、河内守。千通衡·新三郞、枝川氏たり。子通〓·藤四郞、二子通近と曰ひ、兵庫介と曰ふ。通近·刑部少輔と稱す。子重氏云々」とあり。枝口エダグチ枝久保エダクボ武藏の名族にして入間郡中神村三輪明神社の神職なり。慶安の頃より世々職を奉ず(風土記稿)とぞ。……衣當直山城の計帳と思はるゝ正倉院文書に依當直時賣と云ふ人見ゆ。依當は地名なるべし。

姓氏家系大辞典 第1巻 396コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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