恵良
えらEra
全国5098位 ・ 約2,070人
恵良(えら)は、豊後・肥後に恵良の大族がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- えら
- ローマ字
- Era
- 全国順位
- 全国5098位
- 推計人数
- 約2,070人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
恵良をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Era読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 豊後国(大分県)
- 肥後国(熊本県)
- 豊前国(福岡県・大分県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
恵良(えら)は、豊後(大分県)・肥後(熊本県)に恵良の大族がある。 【1】○原姓 ― 豊後国球珠郡恵良邑から起こる。……(中略)長野・飯田・野上などと同族である。また天文・永禄の頃、豊前宇佐郡に恵良盛綱がいたという。 【2】阿蘇氏流 ― 肥後阿蘇氏の一族で、惟澄が恵良氏を称した。「事蹟通考」引用の阿蘇系図に「惟時―惟澄(恵良小次郎、筑後権守、筑後守、大宮司。惟澄は惟時の一族で、増である)」とある。おおよそ上島・恵良・大里などと称する者は傍系の家である。しかし惟澄はその出自を失っている。 元弘三年、惟直と共に金剛山に赴いたところ、令旨を賜ったことにより、備後(広島県)の柄から本国に帰った(正平三年九月の申状)。これ以来、各地の合戦での勲功の事実は、申状・注進状などに詳しい。 惟時が尊氏の反逆に従ったとき賜った令旨には、「惟時に同心せず、二心のない忠節を尽くしたことは、たいそう感心に思し召される。いよいよ頼みに思し召される者である。征四大将軍宮の御気色はこの通りである。よって執達は件の如し。興国五年七月十八日、勘解由次官判、恵良小二郎殿」とある。 また「大宮司惟時が朝敵に属したと聞こし召され驚き思し召されるところ、一族を語らって御方に軍忠を抽んでたことは、勇敢の至りであり、今回に限らずとはいえ、誠にもって感心に思し召されるところである。かつこの趣旨を奏達すべきものである」とある。 「征四大将軍宮の御気色はこの通りである。よって執達は件の如し。興国五年十月二十八日、勘解由次官判、恵良小二郎殿」とも見える。 惟澄は諸弟および上島惟頼らの一族を率い、異心を生ぜず、なお忠節を尽くして大宮司を代行し、正平三年に筑後権守に任じられ、のちにまた筑後守に転じた(申状家記)。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
惠良ヱラ豐後並に肥後に惠良の大族あ1豊後〓原姓豊後國球珠郡惠良邑より起る。……長野、飯田、野上等と同族也。又天文永祿中豊前字佐郡に惠良盛綱ありと。 2阿蘇氏流肥後阿蘇氏の族惟澄·惠良氏を稱す。事蹟通考引用阿蘇系圖に惟時-惟澄(惠良小次郞、筑後權守、筑後守、大宮司、惟澄は惟時の一族にして增也0凡そ上島、惠良、大里等と稱する者は傍親の家也。然れども惟澄·其の出づる所を失ふ。元弘三年惟直と相共に金剛山に赴くの處、令旨を下し賜はるに因りて、備後の柄より國に歸る(正平三年九月申狀)。基れ以來所々の合戰動功の事實·申狀、注進狀等に詳かなり。惟時·尊氏の逆に從ふの時賜ふ令旨『惟時に同心せず、無貳の忠節を致すの條、頗る感じ思召さるゝ所也。彌々憑み思食さるゝ者なり。征四大將軍宮御氣色·此の如し、依りて執達件の如し。興國五年七月十八日、勘解由次官判、惠良小二郞殿。』『大宮司惟時·朝敵に屬するの由聞召され驚き思食さるゝの處、一族を相語らひ、御方に軍忠に抽んづるの條、勇敢の至、今度に限らずと雖、誠に以つて感じ思食さるゝの所也。且つ此の趣を以つて奏達あるべき者也。征四大將軍宮の御氣色、止し如し、依りて執達件の如し。與國五年十月廿八日、勘解由次官判、惠良小二郞殿』と0惟澄·諸弟及び上島惟賴等の一族を率ゐ、異心を生ぜず、猶ほ忠操を盡し、大宮司を攝し、正平三年筑後權守に任じ、後又筑後守に轉ず(申狀家記)。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
恵良と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
恵良に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「恵」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が恵良の前後にある名字です。
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