忍田

おしだOshida

全国5742位 ・ 約1,740人

忍田(おしだ)は、押田と通じて用いられる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おしだ
ローマ字
Oshida
全国順位
全国5742位
推計人数
約1,740人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

忍田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Oshida読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 美濃国(岐阜県)
  • 下総国(千葉県・茨城県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

忍田(おしだ)は、押田と通じて用いられる。 【1】伊勢(三重県)の忍田氏 ― 安濃郡(今の河芸郡)忍田邑から起こる。「名勝志」に「忍田城址は奄芸郡忍田村字城の丘上にある。白河天皇の時、忍田入道が城を築いてこれに居た。代々これを継ぎ、その裔は美濃守、同平左衛門尉と称した。平左は藤堂高虎に仕えた。 (ここに別の見出し「雲林(おしずみ)」〈「日用重宝記」にこの訓がある、「今宮」の項を見よ、忍田と通じるのであわせ見るべき〉の記事が紛れ込んでいて、原文がこの先崩れている) ……院村美濃屋神社の棟札に「康和五年発未六月二十五日、忍田地頭宗重」と記す。おそらく中世の城主であろう(「五鈴遺響」)」と見える。 【2】上野(群馬県)の忍田氏 ― 勢多郡にある。「上野伝説雑記」に「長井の塁は忍田能定がこれを守る。天正十五年、北条氏のために抜かれた」とある。 【3】そのほか、下総国(千葉県・茨城県)小金本土寺過去帳に「忍田三河守自按斎」と載せ、また武蔵(東京都・埼玉県)の忍田氏の紋は抱き茗荷などという。 (このあと原文は次の見出し「推田(おしだ)」「押高(おしたか)」「押立(おしたて)」「押達(おしだて)」「押垂(おしたれ)」の記事に移る) 推田は、前項と同じである。押高は、「東鑑」巻二十一に「をしたかの三郎」という者が見える。 押立は、近江国(滋賀県)愛智郡押立庄から起こる。「東鑑」巻四十一および四十八に押立左近大夫資能、巻四十七に押立蔵人大夫資能が見える。押達は、押立氏と同じで、壬生文書に近江国押達保が見える。 押垂は、武蔵国比企郡押垂邑から起こる。……(中略)(「中興系図」には「押垂、藤、野本氏庶流、十郎重基これを称す」とある)。野本氏は「疋田斎藤系図」に「基員、斎藤左衛門大夫、武蔵国野木に住む、貞永元年没」とあるように、「野木」とする方がよい。その子・十郎重基、その子・押垂十郎重基である。しかし「東鑑」には時基も押垂氏とする。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

忍田オシダ押田と通じ用ひらる。 1伊勢の忍田氏安濃郡(今河藝郡)忍田邑より起る。名勝志に「忍田城址は奄藝郡忍田村字城の丘上に在り。白河天皇の時、忍田入道·城を築き之に居る。歷世之を襲ふ、其裔美濃守、同平左衞門尉と稱す。平左は藤堂高虎に仕ふ。安漁郡雲林オシズミ日用重寳記に此の訓あイムケ條を見よ。オシダ忍田と通ず、併せ見るべ院村美濃屋神社の棟札に「康和五年發未六月二十五日、忍田地頭宗重」と記す、蓋し中世の城主ならん(五鈴遺響)、」と見ゆ。 2上野の忍田氏勢多郡にあり。上野傳說雜記に「長井の壘は忍田能定之を戌る。天正十五年、北條氏の爲に拔かる」とあり。 3其の他、下總國小金本土寺過去帳に「忍田三河守自按齋」と載せ、又武藏の忍田氏の紋は抱若荷云々。推田オシダ前條に同じ。押高オシダカ東鑑卷二十一に「をしたかの三郞」なるもの見ゆ。押立オシタテ近江國愛智郡押立庄より起る。東鑑卷四十一、及び四十八に押立左近大夫資能、卷四十七に押立藏人大夫資能見ゆ。押達オシダテ押立氏に同じ、壬生文書に近江國押達保、見ゆ。押垂オシタレ武藏國比企郡押垂邑まり起る。……(中興系圖には「押垂、藤、野本氏庶流、十郞重基稱之」とあり)。野本氏は疋田齋藤系圖に「基員、齋藤左衞門大夫、住武藏國野木、貞永元年卒)」とある如く、野木とする方よし。其の子十郞重基、其の子押垂十郞重基なり。されど東鑑には時基をも押垂氏とす。

姓氏家系大辞典 第1巻 478コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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