井筒

岡宮

おかみやOkamiya

全国9621位 ・ 約793人

岡宮(おかみや)は、岡村(おかむら)とともに、武蔵・常陸・信濃・岩代などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おかみや
ローマ字
Okamiya
全国順位
全国9621位
推計人数
約793人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

岡宮をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Okamiya読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「岡宮」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第1巻 442コマに「家紋石井筒の内矢筈打違、鰹木、丸に結雁金、結雁金」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 信濃国(長野県)
  • 岩代国(福島県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

岡宮(おかみや)は、岡村(おかむら)とともに、武蔵(東京都・埼玉県)・常陸(茨城県)・信濃(長野県)・岩代(福島県)などにこの地名がある。この氏はこれらの地名を負ったものである。 (このあと原文は次の見出し「岡村(おかむら)」の記事に移る) 【1】桓武平氏惟茂流 ― 信濃国小県郡岡村より起こり、同地の岡村城に拠る。その出自については、安和二年己巳年、桓武天皇七代の後胤・余五将軍出羽守平維茂が、信州荒倉山(千曲真砂は戸隠山とする)の妖鬼退治として出陣した折、長楽寺(今の別所の地)の観音に詣で、この地の民間の賤しい女に戯れたところ、その女は哀れにも身ごもって一男を産んだ。 岡村左衛門尉平○氏と号し、以後代々この地に住んだ。岡村左衛門宗安の代に衰微して城地は荒廃し、天文の末、武田信玄の命により、弘治元年に馬場美濃守が再び縄張りして古城を再築再建させ、家臣をここに置いた。 天正十年、武田氏滅亡の折、城主はなく、跡はまたも荒廃・破却された。里の古老が語るには、今その子孫は民間で衰えているという。この古城の跡は畑となり、その中央に大きな碑がある。 銘には「岡邑院殿一山自休居士、俗名岡邑左衛門尉平○氏」云々とあるが、年号月日はない(「千曲真砂」)。 【2】丹後(京都府)の岡村氏 ― 竹野郡に岡村氏があり、岡村半平は宇川上野村上野城の豪族である。一色氏滅亡後、長岡の家臣となり、改名して岡半左衛門といった。 【3】丹波(京都府・兵庫県)の岡村氏 ― 平姓であるという。「丹波志」の天田郡の項に「岡村四太夫、子孫は芦淵村、田中氏の家臣の家柄と伝える。元祖を四太夫とし、田中十太夫と両人で大阪の陣に赴き、その時手柄があった」と見える。また多紀郡にもこの氏があり、遠山理左衛門の子・玄朝が故あって岡村と改め、黒岡村に住んだ。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

岡宮ヲカミヤ岡村ヲカムラ武藏、常陸、信濃、岩代等に此の地名あり。此の氏は此等の地名を負ひし也。 1桓武平氏惟茂流信濃國小縣郡岡村より起り、同地の岡村城に據る。その出自に關しては、安和二己巳年、桓武天皇七代の後胤餘五將軍出羽守平維茂、信州荒倉山(千曲眞砂戶隱山)の妖鬼退治として發向〇時、長樂寺(今の別所の地)觀音に詣で此處の民間賤の女に戯玉ふに、其の女憫姙して一男を產む。岡村左衞門尉平〓氏と號し、以後代々居住す。岡村左衞門宗安の代衰微して、城地荒廢、大文の末、武田信玄の命に依て、弘治元年馬場美濃守再び縄張して古城再築再建せしめ、家臣を是處に置く。天正十年武田氏滅亡の砌、城主なく、跡又々荒廢破却す。里老語つて曰、今其の子孫民間に衰微す。右古城の跡畑となり、其中央に大碑あり。銘に曰、岡邑院殿一山自休居士、俗名岡邑左衞門尉平〓氏云々と、年號月日なし(千曲眞砂)と2丹後の岡村氏竹野郡に岡村氏あり、岡村半平は宇川上野村上野城の豪族也。一色減後、長岡の家士となり、改名して岡半左衞門と云ふ。 3丹波の岡村氏平姓なりと云ふ。丹波志、天田郡條に「岡村四太夫、子孫芦淵村、田中氏の家臣の家と云傳ふ。元祖を四太夫とす、田中十太夫と兩人大阪陣に行、其の時手柄あり、」と見ゆ。又多紀郡にも此の氏あり、遠山理左衞門の子玄朝故あつて岡村と改め黒岡村に住十。

姓氏家系大辞典 第1巻 442コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

岡宮に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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