小貝
こがいKogai
全国9449位 ・ 約813人
小貝(こがい)は、「おかい」の項を参照。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- こがい
- ローマ字
- Kogai
- 全国順位
- 全国9449位
- 推計人数
- 約813人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
小貝をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kogai読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 美作国(岡山県)
- 信濃国(長野県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
小貝(こがい)は、「おかい」の項を参照。美作国(岡山県)東北条郡北高田庄下横野邑の名族にこの氏がある。 「東作志」に「小貝氏は、七郎左衛門を鼻祖とする。亜相影守卿の代官職であり、横野○を管掌して数代を経た(この字は原文が崩れている)。元亀年中、小貝新兵衛尉以来十六代(いずれも墓所があり、あるいは寛文以来里正を勤めた者も二代あり、多聞寺棟札に名が見える)。 今に子孫連綿と続き……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)、某の次男は森家の藩士となり、小貝門学と称した。金奉行を勤め、のち事情があって江戸にいたある日、故あって切腹した。その志が○直節義にかなうとして、人々は皆これを惜しんだ(「○」は原文が崩れている)。 後年、その霊を祀って門学神と称し、小祠を建てて地主としたという。なお系図や書状などもあったというが、宝暦十年、火災によってことごとく焼失した」という。 (このあと原文は次の見出し「小株」の記事に移る) 小株(こかぶ)は、信濃(長野県)に存する。 (このあと原文は次の見出し「子上」の記事に移る) 子上(こがみ)は、次の項と通じるか。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
小貝コガヒヲカヒ條參照。美作國東北條郡北高田庄下橫野邑の名族に此の氏あリ。東作志に「小貝氏、七郞左衞門を鼻祖とす。亞相影守卿の代官職にして、橫野〓を進退して數代を歷たり。元龜年中、小貝新兵衞尉以來十六代、(何れも墓所あり、或は寬文以來里正を勤むる者も二代あり、多門寺棟札に名標あり)。今に子孫連綿(世代らず、某二男·森家の藩士と成り、小貝門學と云ふ。金奉行を勉め、後儀因つて江戶に在る日、故有りて切腹す。其の意味·虛直節義に當る故に、人皆惇惜す。後年、其の靈を祀りて門學神と稱し、小祠を建て地主とすと云ふ。猶ほ系圖、或は狀等有りといへども、寶曆十度長年、火災にて悉くを燒亡す」と云ふ。小株コカブ信濃に存す。子上コガミ次條と通ずるか。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
小貝と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
小貝に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「小」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が小貝の前後にある名字です。
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