丸に巴

宮

みやMiya

全国1927位 ・ 約8,030人

宮(みや)は、前後数項を参照。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
みや
ローマ字
Miya
全国順位
全国1927位
推計人数
約8,030人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

宮をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Miya読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「宮」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

  • 丸に巴

    この紋のページ →

    弓を射るとき腕に着ける鞆(とも)を象り、三つを渦に組んだ図案。

『姓氏家系大辞典』第6巻 126コマに「家紋丸に左三巴」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 尾張国(愛知県)
  • 美濃国(岐阜県)
  • 陸前国(宮城県・岩手県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

宮(みや)は、前後数項を参照。また尾張(愛知県)・美濃(岐阜県)・下野(栃木県)・陸前(宮城県・岩手県)・丹後(京都府)などにこの地名が存し、そのほか宮山・宮川・宮島などが各国に多い。 【1】宮首 ― 孝徳紀に「宮首阿弥陀」という者がある。これより前に宮首之別が見える。「宮首(みやじ)」の項に詳しい。 【2】宮勝 ― 美濃の豪族で、大宝二年紀に「不破郡大領・宮勝木実に外従五位下を授く」と見える。不破郡の式内大領神社はこの氏の氏神であろう。今の南宮所摂の神である。……(中略) 【4】平姓 ― 伊勢国(三重県)の豪族で、平太郎盛綱の後裔という。当国の美耶郷から起こったものであろう。 【5】清和源氏 ― 「尊卑分脈」に「頼義―義綱―義俊(宮二郎)」と載せ、またその弟に「義貞(宮冠者と号す)」を載せる。加茂・美濃・石田・源などの項を参照。 【6】品治姓 ― 備後(広島県)の豪族で、品治国造の裔というが、一説に小野宮大臣の後とも伝える。品治郡一宮吉備津神社の社家である。……(中略)あの元弘の忠臣として有名な桜山○使(この一字は原文が崩れている)もこの一族で、桜山の項を参照。また有地氏なども一族である。(この前後、原文の行が崩れて読み取れない) 「太平記」に、江田・広沢・三吉とともに「宮三吉」と載せ、また巻二十二に「備後の宮下野守愛信」、二十九に宮下野守兼信、三十一に「備後の宮の入道」などが見える。 また巻三十八に次のようにある。「備後へは富田判官秀貞の子息、弾正少弼直貞が八百余騎で出雲(島根県)から直ちに国中へ打って出たので、江田・広沢・三吉の一族が馳せ着き、程なく二千余騎になった。富田がその勢を合わせて宮下野入道の城を攻めようとしたところ、石見国(島根県)から足利左兵衛佐直冬が五百騎ほどで富田に力を合わせようと備後の宮内へ出られた。 禅僧を一人、宮下野入道のもとへ使に立て、仰せられたのは、天下のことが機の熟する時が到来し、諸国の武士がおおむね味方に心を通じているところに、そなたからはかつて承る旨がないので、こちらから使者をもって申すのである」……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

宮ミャ前後數條參照。又尾張、美濃、下野、陸前、丹後等に此の地名存し、その他.宮山、宮川、宮島等各國に多し。 1宮首孝德紀に「宮首阿彌陀」なる者あり。これより前、宮首之別·見ゆ。宮首(ミヤヂ)條に詳か也。 2宮勝美濃の豪族にして、大寶二年紀に「不破郡大領宮勝木實に外従五位下を授く」と見ゆ。不破郡式內大領神社は此の氏神なるべし。今南宮所攝の神也。……4平姓伊勢國の豪族にして、平太郞盛綱の後風なりと云ふ。當國美耶郷より起りしならん。 5〓和源氏尊卑分脈に「賴義-義綱-義俊(宮二郞)」と載せ、また其の弟に「義貞(號官冠者)」を載せたり。加茂、美濃、石田.源等の條參照。 6品治姓備後の豪族にして、品治國造の裔なれど、一に小野宮大臣の後と傳ふ。品治郡一宮吉備津神社の社家也。……かの元弘の忠臣として有名なる櫻山〓使も此の族、櫻山條參照)又有地氏等も一族なり。そのミャ前後數條參照。又尾張、美濃、氏人は太平記善士にには、江田廣澤、宮三吉」と載せ、又二十二に「値後の宮下野守愛信」、二十九に宮下野守兼信、三十一に「備後の宮の入道」等見え、又三十八に「備後へは富田判官秀貞が子息彈正少弱直貞·八百餘騎、出雲より直に國中へ打出でたるに、江田、廣澤、三吉の一族·馳著きける間、程なく二千餘騎に成りにけリ。富田·其の勢を併せて、宮下野入道が城を攻んとする處に、石見國よリ足利左兵衞佐直冬·五百騎計にて、富田に力を合せんと、備後の宮內へ出でられたりけるが、禪僧を一人·宮下野入道の許へ使に立て、仰せられけるは、天下の事時刻到來して、諸國の武士·大略御方に志を通ずる處に、其の方より曾て承はる旨なき間に、遮つて使者を以つて申す也。

姓氏家系大辞典 第6巻 125コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ漢字を使う名字

宮に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「宮」で始まる・宮を含む名字

宮の字をそのまま含む、より長い名字です。

同じくらいの多さの名字

全国順位が宮の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →