安見

やすみYasumi

全国6643位 ・ 約1,420人

安見(やすみ)は、【1】三宅姓 ― 河内国の豪族で、畠山家の重臣であった。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
やすみ
ローマ字
Yasumi
全国順位
全国6643位
推計人数
約1,420人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

安見をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Yasumi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 若狭国(福井県)
  • 対馬国(長崎県)
  • 山城国(京都府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

安見(やすみ)は、【1】三宅姓 ― 河内国(大阪府)の豪族で、畠山家の重臣であった。交野郡津田村の三宅源治郎氏所蔵『安見氏系譜』によれば、「若狭保見荘(○安見荘)より起こる。二郎○政より安見を氏とした」という。(この先の系図部分は原文の組版が乱れており、世代のつながりが判然としない) 七代孫・右衛門尉○照は大塔宮に従い、八代・対馬守清賢は吉野城で戦死した。九代・刑部尤○儀は楠正儀に属し、まもなく死去したという。畠山義就の重臣となり、大炊助○満、その子・兵部助○重に至るまでは小山城にあった。十三代・備中守清時に至り、伊賀守○輝、寛正三年九月に大蔵允○則が初めて見え、十五代・掃部助○範に至って交野城に拠った。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

安見ヤスミ1三宅姓河內國の豪族にして、畠山家の重臣、交野郡津田村三宅源治郞氏所蔵安見氏系譜に據るに「若狹保見莊스 心安見莊)より起る。二郎〓政より安見を氏とす。七代孫右衞門尉〓照·大塔宮に從ひ、八代對馬守清賢は吉野城に戰死す。九代刑部尤〓儀は楠正儀に屬し。それよ死去す。て畠山義就の重臣となり、を經て、り大炊助〓滿、其の子兵部助〓重迄は小山城に十三代備中守清時に至リ、伊賀守〓輝、寛正三年九月大藏允〓則始めありしが、十五代掃部助〓範に至リ、交野城に據る。

姓氏家系大辞典 第6巻 272コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

この名字の人々

同じ読みの名字

安見と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

安見に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が安見の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →