藤

境野

さかいのSakaino

全国3871位 ・ 約3,130人

境野(さかいの)は、上野・岩代・陸前などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
さかいの
ローマ字
Sakaino
全国順位
全国3871位
推計人数
約3,130人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

境野をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Sakaino読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「境野」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第3巻 130コマに「家紋丸に大文字、上藤の内三柏、左三巴」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 岩代国(福島県)
  • 陸前国(宮城県・岩手県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

境野(さかいの)は、上野(群馬県)・岩代(福島県)・陸前(宮城県・岩手県)などにこの地名がある。 【1】桓武平氏 ― 陸前国秋保郷境野から起こったという。秋保則盛の子・盛久の後である。 【2】大江姓 ― 境氏の後である。六右衛門宗久の子・宗重から系がある。家紋は丸に大文字、上藤の内三柏、左三巴。「寛政系譜」に見える。 【3】武蔵(東京都・埼玉県)の境野氏 ― 小田原役帳に境野越前守がある。高麗郡女影のうち三十貫文を領した。 【4】雑載 ― 徳川時代、この氏は姫路酒井藩の重臣であった(幕末の境野求馬意英は大いに名があった)。また岩村松平藩の側用人であった。播磨国(兵庫県)姫路にも存するという。 (このあと原文は次の見出し「坂合部」の記事に移る) 坂合部(さかいべ)は、職業部の一つである。また堺後酒人保があり、偽本「民部省図帳」に見部、あるいは境部とも記していることから、境界を定めるための品部と考えられる。国郡の境、または私有地の境界については、古今を通じて紛争を極めるのが常なので、それらを確定するために置かれたものであろう。なお第二項によって、いっそう明白になる。 【1】大和(奈良県)の坂合部 ― 宇智郡に坂合部村があり、「東寺百合文書」に坂合部庄と作る。 【2】摂津(大阪府・兵庫県)の坂合部 ― 「姓氏録」摂津皇別に「坂合部は、同じく大彦命の後である。允恭天皇の御代、国境の標を造立した。よって姓を坂合部連と賜った」と見える。これは坂合部の伴造家であって、「姓氏録」はかばねを漏らしたのであろう。 【3】河内(大阪府)の坂合部 ― 若江郡に坂合神社二座がある。この部民がいた地か。 【4】和泉(大阪府)の坂合部 ― 「姓氏録」和泉神別に「坂合部は、火闌降命七世の孫である夜麻等古命の後である」と見える。隼人族か。 【5】坂合部首 ― 阿倍氏の族で、坂合部の一部の伴造である。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

境野サカヒノ上野、岩代、陸前等に此の地名あり。 1桓武平氏陸前國秋保郷境野よリ起ると云ふ。秋保則盛の子盛久の後なり。 2大江姓境氏の後なり。六右衞門宗久め子宗重より系あり。家紋丸に大文字、上藤の内三柏、左三巴。寛政系譜に見ゆ。 3武藏の境野氏小田原役帳に境野越前守あり。高麗郡女影内三十貫文を領す。 4雜載德川時代、此の氏は姫路酒井藩の重臣(幕末境野求馬意英·甚だ名あり)。又岩村松平藩側用人たり。播磨國姫路にも存すとぞ。坂合部サカヒペ職業部の一なり。又堺後酒人保あり、僞本民部省圖帳に見部、或は境部とも記せるによりて、境界を定むる爲の品部と考へらる。國郡の境、又は私有地の境界につきては、古今を通じ、紛擾を極むるを常とすれば、それ等を確定する爲に置かれしものなるべし。猶ほ第二項によりて、一層明白なるを覺ゆ1大和の坂合部宇智郡に坂合部村あり東寺百合文書に坂合部莊に作る。 2攝津の坂合部姓氏錄、攝津皇別に「坂合部、同じく大彥命の後也。九恭天皇の御門、圖境の標を造立す。因りて姓を坂合部運を賜ふ」と見ゆ。此は坂合部の伴造家にて、姓氏錄はカバネを漏らせしものならむ。 3河内の坂合部若江郡に坂合神社二座あり。此の部民のありし地か。 4和泉の坂合部姓氏錄、和泉神別に「坂合部、火圍降命七世の孫·夜麻等古命の後也」と見えたり。隼人族か。 5坂合部首阿倍氏の族にして、坂合部の部分的伴造なり。

姓氏家系大辞典 第3巻 130コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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