垂井

たるいTarui

全国7309位 ・ 約1,220人

垂井(たるい)は、和泉・美濃などにこの地名が存する。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
たるい
ローマ字
Tarui
全国順位
全国7309位
推計人数
約1,220人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

垂井をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Tarui読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 和泉国(大阪府)
  • 美濃国(岐阜県)
  • 美作国(岡山県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

垂井(たるい)は、和泉(大阪府)・美濃(岐阜県)などにこの地名が存する。……(中略) 【2】紀姓石清水祠官族 ― その系図に「常磐頼○(二十三別当)―光○(二十五別当、垂井)―豪○、弟・任○、弟・重○(乗井禅師)」とある(○は原文が崩れて読み取れない字)。 【3】美作(岡山県)の垂井氏 ― 勝南郡和気庄羽仁邑庄屋にこの氏があり、垂井陸奥守義兼の孫・兵部少輔義直は力量が人に勝れ、弓術に優れ、宇喜多直家に仕えて名を挙げた。天正四年五月、延原弾正らとともに粟井庄城主・藤生筑前守を撃破し、その功により粟井庄五百石を賜ったという。そのほか、苦田郡中原・英田郡鷺集などにも存する。 【4】雑載 ― 「上月記」に、康正二年に大和(奈良県)へ向かった人数の中に「垂井次郎右衛門尉」を載せている。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

垂井タルヰ和泉、美濃等に此の地名存す。……2紀姓石〓水祠官族にして、其の系圖に「常磐賴〓(廿三別當)-光〓(廿五別當、垂井)-豪〓、第任〓、弟重〓(乘井禪師)」とあり。 3美作の垂井氏勝南郡和氣庄羽仁邑庄屋に此の氏ありて、垂井陸奥守義兼の孫兵部少輔義直、力量衆に勝れ、弓術を善くし、宇喜多直家に仕へて英名あり。天正四年五月、延原彈正等と共に粟井庄城主藤生筑前守を擊破し、其の功に據りて粟井庄五百石を頷すと云ふ。その他、苦田郡中原、英田郡鷺集等にも存す。 4雜載上月記、康正二年大和に向ふ人數に「垂井次郞右衞門尉」を載せたり。

姓氏家系大辞典 第4巻 135コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

垂井と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

垂井に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が垂井の前後にある名字です。

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