吉橋
よしはしYoshihashi
全国3603位 ・ 約3,470人
吉橋(よしはし)は、武蔵・下総などにこの地名があり、「新編風土記」児玉郡高柳村の項に「那賀郡駒納村の民・友七所蔵の文書に、吉橋和泉・弟高柳因幡守と見え、かつ吉橋…
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- よしはし
- ローマ字
- Yoshihashi
- 全国順位
- 全国3603位
- 推計人数
- 約3,470人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
吉橋をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Yoshihashi読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 下総国(千葉県・茨城県)
- 和泉国(大阪府)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
吉橋(よしはし)は、武蔵(東京都・埼玉県)・下総(千葉県・茨城県)などにこの地名があり、「新編風土記」児玉郡高柳村の項に「那賀郡駒納村の民・友七所蔵の文書に、吉橋和泉・弟高柳因幡守と見え、かつ吉橋氏は永禄・元亀の頃、信玄に属し、近隣の戦にしばしば功があったので、榛沢郡内の大塚、賀美郡内の長浜にて、十貫文ずつの地を宛てられたこともあれば、舎弟高柳因幡守も当村に住み、在名をもって氏としたのであろう」と見える。 また郡珂郡駒衣村の項に「吉橋氏。先祖は吉橋大膳といい、北条安房守氏邦に仕え、元和四年十一月二十八日に没し、法名を雪岫安斎と号した。家譜を伝えていないので、その詳細は知れないが、鉢形から出た文書三通を所持していることからも、旧家であることが知れる」とある。 (このあと原文は次の見出し「吉浜」の記事に移る) 吉浜(よしはま)は、三角・相模(神奈川県)・安房(千葉県)・陸中(岩手県・秋田県)などにこの地名があり、武蔵などにも存する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
吉橋ヨシハシ武藏、下總等に此の地名ありて、新編風土記、兒玉郡高柳村條に「那賀郡駒納村の民友七所藏の文書に、吉橋和泉.弟高柳因幡守と見え、且つ吉橋氏は永祿元龜の頃、信玄に屬し、近隣の戰に屢々功ありしかば、榛澤郡の内大塚、賀美郡の內長濱にて、十貫文づゝの地を宛てられし事もあれば、舍弟高柳田幡守も當村に住し、在名をもて氏とせしにや」と見え、又郡珂郡駒衣村條に「吉橋氏。先祖は吉橋大膳とて、北條安房守氏邦に仕へ、元和四年十一月二十八日卒し、法名雪岫安齋と號す。家議を傳へざれば、其の詳なる事は知れざれど、鉢形より出だせし文書三通を所持せるにても、舊家なること知るべし」と吉濱ヨシハマ三角、相摸、安房、陸中等に此の地名ありて、武藏等に存す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
吉橋に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「吉」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が吉橋の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
