足利義詮

あしかが よしあきら

1330年〜1367年

鎌倉時代生まれ足利

室町幕府第2代征夷大将軍

足利 義詮(あしかが よしあきら)は、室町幕府の第2代征夷大将軍(在任 : 延文3年(1358年)12月8日 - 貞治6年(1367年)12月7日)。

基本情報

生年
1330年
没年
1367年
時代
鎌倉時代
名字
足利
肩書
室町幕府第2代征夷大将軍
出典
足利義満の家系図、足利尊氏の家系図

この人について

足利 義詮(あしかが よしあきら)は、室町幕府の第2代征夷大将軍(在任 : 延文3年(1358年)12月8日 - 貞治6年(1367年)12月7日)。初代将軍・足利尊氏の三男。母は鎌倉幕府最後の執権・北条守時の妹で、正室の赤橋登子(登子の子としては長男)。正式な姓名は、源 義詮(みなもと の よしあきら)。

父の尊氏が鎌倉幕府に反旗を翻した際、幼少ながらも新田義貞の鎌倉攻めに参加。貞和5年(1349年)に室町幕府で内紛が起こると、鎌倉から上洛し中央政権の政務に関わるようになる。観応2年(1351年)、尊氏が失脚した直義を追い鎌倉に出陣すると、義詮は京の留守を任せられたが、翌年閏2月に南朝によって幕府が支援する北朝の三人の上皇を拉致される。しかし、同年中には後光厳天皇の擁立に成功する。この時期から尊氏が帰京する文和2年(1353年)9月まで、尊氏が東国、義詮がそれ以外の地域を分割統治した。

この略歴はウィキペディア日本語版「足利義詮」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →

家系図(近い家族)

足利義詮を中心に、公開されている家系図をつなぎ合わせて、父母・兄弟姉妹・配偶者・子を描いています。ほかの家系図と同じように、動かして拡大でき、人物を押すとその人の詳細とページが開きます。

足利竹若丸足利直冬池尻殿加賀局日野康子藤原慶子足利義満日野業子春日局藤原誠子紀良子足利義詮足利女子(1337-1342)足利聖王丸足利英仲法俊足利基氏足利了清足利女子(1344-1346)足利鶴王赤橋登子足利尊氏加古基氏の娘
足利竹若丸
長男
足利直冬
次男
叔父・直義の養子
池尻殿
足利義満の側室
1426年
加賀局
1422年
日野康子
足利義満の継室
1369年1419年
藤原慶子
足利義満の側室
1358年1399年
足利義満
三男
室町幕府第3代征夷大将軍
1358年1408年
日野業子
足利義満の正室
1351年1405年8月5日
春日局
足利義満の中臈(側室)
藤原誠子
足利義満の側室
1426年
紀良子
足利義詮の側室
1336年1413年8月9日
足利義詮
三男
室町幕府第2代征夷大将軍
1330年1367年12月28日
足利女子(1337-1342)
女子
1337年1342年10月2日
足利聖王丸
男子
1339年1345年8月1日
足利英仲法俊
男子
僧侶
1339年1416年2月26日
足利基氏
男子
初代鎌倉公方
1340年
足利了清
女子
叔父・直義の養女
1343年1347年10月14日
足利女子(1344-1346)
女子
1344年1346年7月9日
足利鶴王
女子
崇光天皇后妃
赤橋登子
足利尊氏の正室
1306年1365年5月25日
足利尊氏
次男
室町幕府初代征夷大将軍
1305年1358年
加古基氏の娘
足利尊氏の側室
100%

ドラッグで移動、ホイール・ピンチやボタンで拡大縮小できます。人物をタップすると詳細が開きます。

世界樹でこの人を見る →

家族

年表:足利義詮と、その時代

この人の出来事と、同じころに世の中で起きたことを並べています。

この人世の中
  1. 鎌倉時代

    誕生
  2. 元弘の変が起こる
  3. 鎌倉幕府が滅びる
  4. 建武の新政が始まる
  5. 室町時代

    足利尊氏が建武式目を定める
  6. 足利尊氏が征夷大将軍になる
  7. 観応の擾乱が起こる
  8. 子 足利義満 誕生

年表はサイト運営者が主要な出来事を選んで記したものです。

載っている家系図

この人物ページは、みなさんが公開を選んだ家系図の記録だけでできています。ご存命の方の情報は自動的に伏せていますが、掲載の取消や名前を伏せるご希望は、いつでも承ります。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →

スポンサーリンク