平重衡

たいら しげひら

1157年〜1185年

平安時代生まれ

武将

平 重衡(たいら の しげひら)は、平安時代末期の平家の武将・公卿。

基本情報

生年
1157年
没年
1185年
時代
平安時代
名字
肩書
武将
出典
平清盛の家系図

この人について

平 重衡(たいら の しげひら)は、平安時代末期の平家の武将・公卿。平清盛の五男。母は清盛の継室・平時子。三位中将と称された。

平氏政権の大将の一人として各地で戦い、南都焼討を行って東大寺大仏や興福寺を焼亡させた。治承・寿永の乱(源平合戦)においては墨俣川の戦いや水島の戦いで勝利して活躍するが、一ノ谷の戦いで捕虜になり、鎌倉へ護送された。平氏滅亡後、南都衆徒の要求で引き渡され、木津川畔で斬首された。その将才は「武勇の器量に堪ふる」(『玉葉』治承5年閏2月15日条)と評される一方、その容姿は牡丹の花に例えられたという。

この略歴はウィキペディア日本語版「平重衡」(CC BY-SA 4.0)からの引用です。 元の記事を読む →

家系図(近い家族)

平重衡を中心に、公開されている家系図をつなぎ合わせて、父母・兄弟姉妹・配偶者・子を描いています。ほかの家系図と同じように、動かして拡大でき、人物を押すとその人の詳細とページが開きます。

平重盛平基盛平宗盛平徳子平知盛平盛子平重衡平完子平知度平清房平時子平清盛高階基章の娘
平重盛
長男
武将・公卿
1138年1179年
平基盛
次男
武将
1139年1162年
平宗盛
三男
武将・公卿
1147年1185年
平徳子
三女
高倉天皇中宮・建礼門院
1155年1214年
平知盛
四男
武将
1152年1185年
平盛子
四女
近衛基実室
1156年1179年
平重衡
五男
武将
1157年1185年
平完子
六女
近衛基通室
平知度
七男
武将
1183年
平清房
八男
武将
1184年
平時子
平清盛継室・二位尼
1185年
平清盛
長男
武将・公卿太政大臣
1118年1181年
高階基章の娘
平清盛正室
100%

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家族

年表:平重衡と、その時代

この人の出来事と、同じころに世の中で起きたことを並べています。

この人世の中
  1. 平安時代

    誕生
  2. 平治の乱が起こる
  3. 平清盛が太政大臣になる
  4. 法然が浄土宗を開く
  5. 源頼朝が伊豆で兵を挙げる
  6. 平氏が都を落ちる
  7. 鎌倉時代

    壇ノ浦の戦いで平氏が滅びる/国ごとに守護、荘園に地頭が置かれる

年表はサイト運営者が主要な出来事を選んで記したものです。

載っている家系図

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