夫婦同姓の歴史は約130年 — 明治9年、妻は「実家の姓」だった
最終更新: 2026-08-24
結婚すると夫婦は同じ名字になる——日本では当たり前の光景ですが、この仕組みの歴史は意外と浅く、始まりは明治31年(1898年)です。しかもその直前の明治9年(1876年)には、政府が「妻は実家の姓を名乗るように」という正反対の原則を示していました。名字と結婚の関係が短期間に大きく揺れた、その経緯をたどります。
明治9年: 妻の姓は「実家の姓」
明治8年に平民苗字必称義務令が出て、すべての国民が名字を名乗ることになりました。すると新しい問題が生まれます。結婚した女性の名字はどうするのか。
各地からの問い合わせを受けて、明治9年3月、太政官(当時の最高行政機関)は「妻は結婚後も生家の氏(実家の姓)を用いること」と指令します。つまり明治政府が最初に採った原則は、今でいう夫婦別姓でした。これは、名字を「家」ではなく「血筋」の表示と考える発想で、武家社会で妻が実家の姓で呼ばれた慣行にも沿うものでした。
明治31年: 家制度とともに夫婦同姓へ
転機は明治31年の民法(旧民法)施行です。旧民法は「家(いえ)」を単位とする家制度を採用し、戸主と家族は「家の氏」を称すると定めました。結婚は妻が夫の家に入ることとされたため、妻は夫の家の氏を名乗る——ここで夫婦同姓が制度として始まります。
つまり夫婦同姓は「夫の姓に変わる」制度としてではなく、「家に入った者は家の氏を名乗る」制度として生まれました。婿養子が妻側の氏になるのも同じ理屈です。戦後の昭和22年に家制度は廃止されますが、夫婦が同じ氏を称する仕組みは「夫または妻の氏を選ぶ」形に改められて現在まで続いています。
では江戸時代はどうだったのか
江戸時代の庶民は名字の公称が制限されていたため、そもそも「夫婦の名字」という問題が表面化しにくい社会でした。一方、名字を公称できた武家では、妻は「実家の名字+名前」で記録されることが多く、系図や文書でも妻の欄には実家の家名が書かれるのが通例でした。
この慣行は家系図を読むときの重要な手がかりになります。古い系図で女性が「〇〇氏」「〇〇家の女(むすめ)」とだけ書かれていたら、それは実家の名字です。名前が残されていない女性の先祖も、実家の名字から出身の家をたどれることがあるのです。
戸籍にも変遷の痕跡が残っている
明治初期の戸籍や文書では、こうした制度の揺れを反映して、妻の氏の書かれ方が時期や土地によってまちまちです。先祖の戸籍で妻の名字の扱いが今と違っていても、誤記とは限りません。むしろ、その戸籍が書かれた時代の制度を映した貴重な痕跡です。
名字は不変のものではなく、たかだか150年の間にこれだけ揺れてきた制度です。家系図で先祖の名字の変わり目に出会ったら、その背後にどの時代の決まりがあったのかを考えてみると、記録の見え方が変わってきます。