須沢
すざわSuzawa
全国4640位 ・ 約2,360人
須沢(読みは原文が崩れていて読み取れない)は、甲斐国巨摩郡に須沢村・須沢城跡があり、関係があるか。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- すざわ
- ローマ字
- Suzawa
- 全国順位
- 全国4640位
- 推計人数
- 約2,360人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
須沢をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Suzawa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 甲斐国(山梨県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
須沢(読みは原文が崩れていて読み取れない)は、甲斐国(山梨県)巨摩郡に須沢村・須沢城跡があり、関係があるか。 この氏は結城秀康の重臣で、その給帳に「千百四十石(うち四百四十石与力)須沢七郎左衛門」とある棟札がある。天文年間には、周参見領主左衛門大夫藤原氏安と書き、文禄年間も同人で、主馬大夫と書く。……(中略) また同郡朝来の旧家にこの氏がある。また在田郡栖原村の旧家・周参見直之進は「熊野七士の中、牟婁郡周参見の城主・周参見主馬大輪氏長は、天正中に落城した。朝鮮の役に、嫡子一之丞とともに出征し、かの地で軍功があった。浅野氏の時、三十六人士の一人であったという。その孫重蔵は、寛永年中に当地に移り、代々この地に居住する」と見える。 【2】雑載 ― 天正四年の棟札に「周参見弥十郎」が見える。「城」の項を見よ。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
須澤スト、甲斐國巨摩郡に須澤村、須澤城跡あり、關係あるか。この氏は結城秀康の重臣にて、その給帳に「千百四十石(內四百四十石與力)須澤七郞左衞門」とあの棟札あり。天文には、周參見領主左奮門大夫藤原氏安と書し、文祿にも同人にて、主馬大夫と書す。……又同郡朝來の舊家に此の氏あり。又在田郡栖原村舊家周參見直之進は「熊野七士の中、牟婁郡周參見の城主周參見主馬大輪氏長·天正中落城す。朝鮮の役に、嫡子一之丞と共に出征、彼の地にて軍功あリ。淺野氏の時、三十六人士の内なりとゼ。其の孫重藏、寛永年中當地に移り、代々此の地に居住す」と見ゆ。 2雜載天正四年棟札に「周參見彌十郞」見ゆ。城條を見よ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
須沢と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
須沢に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「須」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が須沢の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
