重見
しげみShigemi
全国4819位 ・ 約2,230人
重見(しげみ)は、伊予・登祥の名族で、中国地方にも移る。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- しげみ
- ローマ字
- Shigemi
- 全国順位
- 全国4819位
- 推計人数
- 約2,230人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
重見をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Shigemi読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 伊予国(愛媛県)
- 山城国(京都府)
- 因幡国(鳥取県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
重見(しげみ)は、伊予(愛媛県)・登祥の名族で、中国地方にも移る。 【1】越智姓河野氏族 ― 伊予の豪族で、越智郡近見邑の明神山城による。「豫陽盛衰記」に次のようにある。 「重見因幡守通親は河野十八将の随一で、先年の京都合戦で手強く働き、三好筑前守元長兄弟に腹を切らせた。その嫡男は得能志摩守通実、次男は重見掃部頭通昭といい、家督を相続して河野氏の股肱の一族である。 その嫡子は因幡守通種、次男は近江守通遠、三男は美濃守通次であったが、道種が出奔した後、次男通遠が家名を相続し、あの乱の折に通直のために討たれた。 通宣・通直の父子が和平した後、三男通次をもって家名を立て、その嫡子・重見孫七郎が家を相続して明神山の城に居住し、天正十三年、小早川隆景に攻め落とされて、それより零落し、長く民間に身を落とした」とある。 永厳中に至り大友氏に降った一族は、「豫章記」に「館四征夷将軍云々、御供の人々、重見庄五郎云々、一般には重見・高山云々」とあり、また「重見日吉」「重見庄帯刀大輔」などが見え、また集古文書には文明十七年の重見掃部頭通昭の下知状があって「三島神領を申し定める事云々」とある。 また「二名集」に次のようにある。「享禄三年三月、府中石井山の城主・重見因幡守通村は、湯月館の命に背くことがあった。そこで村上右衛門通康が館命を受け、二百余騎を率いて進発し、大いに戦った。 城兵は敗れて石井山の城に逃げ籠った。通康は進んでその城を囲んだ。重見は勇猛を振るって防ぎ戦ったが、寄手は日々に増勢し、城兵は夜ごとに逃げ失せていくうちに、ついに気力尽き、力も疲れ、夜に乗じて防州(山口県)へ逃げ去った」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
重見シゲミ伊豫登祥の名族にて中國にも移る。 1越智姓河野氏族伊豫の豪族にして、越智郡近見邑明神山城に據る。豫陽盛衰記に「重見因幡守通親は、河野十八將の隨一、先年京都合戰に手强き働きし、三好筑前守元長兄弟に腹切らせたり。其の嫡男は得能志摩守通實、次男は重見掃部頭通昭とて、家督を相續し、河野股肱の一族也。其の嫡子因幡守通種、次男近江守通遠、三男美濃守通次也、然るに道種奔出以後、二男通遠·家名を相續し、彼の亂の砌、通直の爲に討たれたり。通宣、通直の父子和平の後、三男通次を以つて家名を立て、其の嫡重見孫七郞·家を相續し、明神山の城に居住して、天正十三年、小早川隆景に攻め落され、夫より沈淪して永く民間に落ちけり」と見ゆ。永嚴中に至リ、大友氏に降る氏人は豫章記に「館四征夷將軍云々、御伴の人々、重見庄五郞、云々、一般は重見、高山云々」。また「重見日吉、」「重見庄帶刀大輔」等見え、又集古文書に、文明十七年の重見掃部頭通昭が下知狀あり「三島神領を申し定むる事云々」と。また二名集に「享祿三年三月、府中石井山の城主重見因幡守通村は、湯月館に命に違ふ事あり。仍りて村上右衞門通康·館命を蒙り、二百餘騎を率ゐて進發し、大、に戰ふ。城兵·敗れて石井山の城に逃げ籠る。通康·進みて彼の城を圍む。重見·勇猛を振ひ、防ぎ戰ふと雖も、寄手·日々に增勢、城兵は夜々に逃げ失する間、終に氣·盡き、力·勞れ、夜に乘じて防州に遁げ去る」と載せたり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
重見に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「重」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が重見の前後にある名字です。
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