神代

くましろKumashiro

ほかの読み: かみしろ ・ こうじろ

全国2799位 ・ 約4,850人

神代(かみしろ・くましろ・こうしろ・かめくま)は、「和名抄」に常陸国真壁郡に神代郷があり、かめくまかという。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
くましろ ・ かみしろ ・ こうじろ
ローマ字
Kumashiro
全国順位
全国2799位
推計人数
約4,850人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

神代をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

「くましろ」と読む場合

Kumashiro読みをそのまま写した形

「かみしろ」と読む場合

Kamishiro読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 常陸国(茨城県)
  • 備中国(岡山県)
  • 備後国(広島県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

神代(かみしろ・くましろ・こうしろ・かめくま)は、「和名抄」に常陸国(茨城県)真壁郡に神代郷があり、かめくまかという。また伯耆国(鳥取県)久米郡に神代○(郷か)、備中国(岡山県)哲多郡に神代○(郷か)があり、加無之呂と注し、後に神代村という。また備後国(広島県)三上郡に神代郷がある。 次に肥前国(佐賀県・長崎県)高来郡に神代○(郷か)があり、加無之呂と訓じ、後世神代邑という。また筑後国(福岡県)御井郡に神代○(郷か)がある。そのほか、備中に神代野部御厨、能登羽咋郡に神代村(かぐみ)・神代神社、越後(新潟県)に神代村(かぐみ)がある。これら神代の地は神稲と同様、神社領であった地で、これらの地名を負った神代氏は神社と密接な関係を有するようである。 【1】神代直 ― 「肥前風土記」彼杵郡の条に「経向日代宮(景行)御宇天皇が、球磨囎唹を誅滅して凱旋のとき、天皇は豊前国(福岡県・大分県)宇佐の海浜の行宮におられて、陪従の神代直に勅し、この郡の連見村に遣わして土蜘蛛を捕らえさせた」と見える。この後裔は第四項を見よ。……(中略)座主家と同様、丹波姓で、高良山文書に次のようにある。 「将軍家政所が下す。博多津において、去る文永十一年、蒙古襲来の際、肥後(熊本県)・薩摩(鹿児島県)・日時・隅州(鹿児島県)の諸軍が馳せ参じたとき、筑後河神代の浮橋、九州第一の難所のところ、神代良忠が調略をもって諸軍をことごとく打ち渡した。蒙古退治のこと、ひとえに玉垂宮の冥慮、扶桑永代、安泰であるとのこと、仰せられるところ件の如し。建治元年十月二十九日。別当相模守平朝臣判」とある。 また「補任、高良大明神社司、神代民部大輔良忠は、よろしく越前守に転ずべし。右、勅宣の旨をもって補せしむるところなり。よろしく承知せらるるの状、件の如し。正和元年十二月日。左大弁藤原○房判」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

神代カミシロクマシロカウシロカメクマ和名抄、常陸國眞壁郡に神代郷あり。カメクマかと云ふ。又伯者國久米郡に神代〓、備中國哲多郡に神代〓あり、加無之呂と註す、後神代村と云ふ。又備後國三上郡に神代郷あり。次に肥前國高來郡に神代〓あり、加無之呂と訓ず、後世神代邑と云ふ。又筑後國御井郡に神代〓あり。その他、備中に神代野部御厨、能登羽咋郡に神代村(カグミ)、神代神社、越後に神代村(カグミ)あり。此等神代の地は神稻と同樣、神社領たりし地にして、此等の地名を負ひし神代氏は神社と密接なる関係を有するが如し。 1神代直肥前風土記、彼杵郡條に「經向日代宮(景行)御字天皇、球磨嗜喉を誅滅して凱旋の時、天皇·豐前國字佐(+土?)海濱の行宮に在りて、陪從神代直に勅し、此の郡連見村に遣はして土蜘蛛を捕へしむ」と見えたり。此の後裔·第四項を見よ。……座主家と同樣、丹波姓にして、高良山文書に「將軍家政所下す。博多津に於いて、去る文永十一年、蒙古襲來の刻、肥後、薩摩、日時、隅州の諸軍·馳參るの砌、筑後河神代の浮橋、九州第一の難所の處、神代良忠·調略を以つて、諸軍を轍く打渡す。蒙古退治の事、偏へに玉垂宮冥慮、扶桑永代、安利たるの由、仰する所件の如し。建治元年十月廿九日。別當相摸守平朝臣判、」と。また「補任、高良大明神社司、神代民部大輔良忠、宜しく越前守に轉ずべし。右動宣の旨を以つて補せしむる處也。宜しく承知せらるゝの狀、件の如し。正和元年十二月日。左大辨藤原〓房判」と。

姓氏家系大辞典 第2巻 296コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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