板持

いたもちItamochi

全国8248位 ・ 約1,010人

板持(いたもち)は、河内国錦部郡に板持名があり、金峰神社文書(建武元年二月)に見える、その地から起こる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
いたもち
ローマ字
Itamochi
全国順位
全国8248位
推計人数
約1,010人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

板持をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Itamochi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 河内国(大阪府)
  • 周防国(山口県)
  • 讃岐国(香川県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

板持(いたもち)は、河内国(大阪府)錦部郡に板持名があり、金峰神社文書(建武元年二月)に見える、その地から起こる。 【1】板持史 ― 漢族で、劉家楊雍の後という。養老年間に連姓を賜った。 【2】板持連 ― 板持史の後であり、また板茂連ともいう。養老三年五月紀に「従五位下板持史内麻呂ら十九人、連姓を賜う」とある。「姓氏録」河内諸蕃には「板茂連」と載せて、「伊吉連と同祖、楊雍の後である」と注する。 【3】板持宿禰 ― 「姓名縫抄」に見える。板持連が後に宿禰姓を賜ったものであろう。 【4】周防(山口県)の板持氏 ― 延喜八年玖珂○戸籍に板持名丸という人が見える(この一字は原文が崩れている)。 【5】讃岐(香川県)の板持氏 ― 讃岐国寛弘元年の戸籍に板持茂丸ほか一人が見える。漢帰化族・板持史の族裔であろう。 なお板茂(いたもち)は板持氏と同じで、河内錦部郡の名族として「姓氏録」河内諸蕃に収める。前項に述べた通りである。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

板持イタモチ河内國錦部郡に板持名あリ、金峰神社文書(建武元年二月)に見ゆ、其の地より起る。 1板持史漢族にして劉家楊雍の後なリ、養老年間連姓を賜ふ。 2板持連板持史の後なり、又板茂連とも有り。養老三年五月紀に「從五位下板持史内麻呂等十九人、連姓を賜ふ、」とあリ。姓氏錄河內諸蕃には「板茂連」と載せて、「伊吉連同祖楊雍の後也」と註す。 3板持宿禰姓名縫抄に見ゆ。板持連後宿禰姓を賜へるなるべし。 4周防の板持氏延喜八年玖珂〓戶籍に板持名丸なる人見ゆ。 5讚岐の板持氏讃岐國寛弘元年の戶籍に板持茂丸外一人見ゆ。漢歸化族板持史の族裔あるべし。板茂イタモチ板持氏に同じ、河內錦部郡の名族にして姓氏錄河内諸蕃に收む、前條に云へり。

姓氏家系大辞典 第1巻 196コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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