堀場
ほりばHoriba
全国2866位 ・ 約4,690人
堀場(ほりば)は、佐々木氏族。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ほりば
- ローマ字
- Horiba
- 全国順位
- 全国2866位
- 推計人数
- 約4,690人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
堀場をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Horiba読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 尾張国(愛知県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 陸奥国(東北地方)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
堀場(ほりば)は、佐々木氏族。森川氏の系図に「堀部左衛門尉満泰―三郎秀泰―彦左衛門尉秀定―彦四郎泰氏―彦三郎入道宗秦―奥四郎宗氏(尾張国(愛知県)比良郷に住み、堀揚を称する)―与四郎氏兼(妻は森河氏)―金右衛門氏俊(森川に改める)」とある。……(中略)また「人物志」に、春日井郡小木村の人・画後守正義が見える。 【2】雑載 ― そのほか武蔵(東京都・埼玉県)などにも在る。……(この先、原文は別の記事に入り込んでいる。次のくだりは「浪岡」に関するものと見られる) 北畠顕家の末子・顕房(季順の後で、南部氏が奉じた人物といい、これを雲綿御所と伝える)について、「南部四世事蹟考」に「南部十一世政行が、顕家の裔を閉伊郡農綿村に奉じ、津軽浪岡に奉じた」とある。 「太平記綱目合璧」正平七年、児島高徳が奥州(東北地方)に下って官軍を募る条に「奥州の官軍は顕家の妾腹の子・顕房を奉じて兵を起こす」とあり、その段の末には「顕房は偽りの胤である」ともいう。 また「南部蔵本系胤語考」浪岡氏の系には「顕家の末子・天童丸は、奥州津軽郡浪岡館に居住し、浪岡氏となる」とあり、また同書の襲綿氏の系には「顕家の氏族が、奥州津軽に住み、その支流が閉伊郡袋綿村に移り住んだ。子孫は永くここに住んだ。これより以前は知れない」とある。 また「大日本史」親房の伝には「顕信の子・信親守親、守親は大納言に任じられ陸奥国司となる。子・親能、その子孫で陸奥出羽にいる者は浪岡と称する」とある。これによれば浪岡氏は顕信の裔であって、顕家の裔ではない。……(この先は原文が崩れていて読み取れない) (ここから先は再び堀部(堀辺)の記事に戻る) 大山因幡守の家臣に堀辺土佐という者があり、天正慶長の頃の人である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
堀場ホリバ佐々木氏族森川氏の系圖に「堀部左衛門尉滿泰-三郞秀泰-彥左衞門尉秀定-彥四郞泰氏-彦三郞入道宗秦-奥四郞宗氏(尾張國比良郷住、堀揚を稱す)-與四郞氏兼(妻は森河氏)-金右衞門氏俊森川に改む)」と。……又人物志に、春日井郡小木村の人画後守正義見ゆ。 2雜載その他、武藏等にも在り。武藏等に存す。……北畠願家の季子顯房(季順の後にして、南部氏の奉ぜし所、之を雲綿御所と云ひしと傳ふ。南部四世事蹟考に「南部十一世政行·顯家の裔を閉伊郡農綿村に奉じ、津輕浪岡に奉ず。太平記綱目合壁、正平七年、兒島高德·奥州に下りて官軍を募る條に『奥州の官軍·顯家妾腹の子顯房を奉じて兵を起す』とあり。而して、其の段末に『顯房は僞胤なる』を言へり。又南部藏本系胤語考、浪岡氏の系に『顯家末子天童丸は、奧州津輕郡浪圖舘に居住し、浪岡氏となる』とあり。又同書襲綿氏の系に『顯家癇の氏族、奥州津輕に住し、其の支流·移りて閉伊郡袋綿村に住す。而して子孫永く此に住す。是より以前、相知れず』とあり。又大日本史、親房の傳に『顯信の子信親守親、守親·大納言に任じ、陸奥國司と爲る。子親能、其の子孫·陸奥出羽に在る者、浪岡と稱す』とあり。此に據れば浪岡氏は顯信の裔にして、顧家の裔にあらず。然らば天竜丸は裝綿氏の祖にしてま同所にあらざしん一本行丘茶■とぢ所出詳ならず。大山因幡守の家臣に堀邊土佐と云ふ者あり、天正慶長の人なり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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堀場に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「堀」の字を含む名字
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