勝倉
かつくらKatsukura
全国7955位 ・ 約1,070人
勝倉(かつくら)は、常陸国郵珂郡勝倉邑から起こる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- かつくら
- ローマ字
- Katsukura
- 全国順位
- 全国7955位
- 推計人数
- 約1,070人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
勝倉をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Katsukura読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 常陸国(茨城県)
- 上総国(千葉県)
- 筑前国(福岡県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
勝倉(かつくら)は、常陸国(茨城県)郵珂郡勝倉邑から起こる。「地理志料」に「吉田社、仁平元年の農宣に吉田郡倉員とある。恐らくは員倉の倒置で、今の勝倉はすなわちこれである。大掾伝記に吉田の一族である勝倉・市毛・堀口の諸氏を載せており、ここを本拠とした」と見える。 また「大掾系図」に「吉田太郎広幹―俊幹(勝倉四邸)」と載せている。代々勝倉館に拠った。大掾朝幹がその弟の次郎と争ったとき、勝倉氏は次郎に味方した。……(中略) (このあと原文は次の見出し「上総(かみつふさ)」の記事に移っている) 上総国(千葉県)は、「和名抄」に加三豆布佐と注する。昔は総国といい、筑前(福岡県)・越後(新潟県)などにもこの地名がある。前項の氏と同じく、上下の両国に分かれたことによるという。 後世はもっぱらかずさと呼ぶ。また「和名抄」の武蔵国(東京都・埼玉県)高麗郡には上総郷があり、加無豆布佐と注する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
勝倉カツクラ常陸國郵珂郡勝倉邑より起る。地理志料に「吉田社、仁平元年の農宣に吉田郡倉員と。恐らくは員倉の倒置、今の勝倉、卽ち是れなり。大掾傳記に吉田の族·勝倉、市毛、堀口の諸氏を載せたり、此處に貫す」と見ゆ。又大樣系圖に「吉田太郞廣幹-俊幹(勝倉四邸)」と載せたり。代々勝倉館に據る。大掾朝幹が弟次郞と爭ふや、勝倉氏は次郞に黨す。……上總カツサカミツフサ上總國は和名抄に加三豆不佐と註す。古く總國と云ひし筑前、越後等に此の地名あ前條の氏に同を上下の兩國に分ちしによる。後世專らカヲサと呼ぶ。又和名抄、武藏國高麗郡に上總郷あり、加無豆布佐と註す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
勝倉に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「勝」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が勝倉の前後にある名字です。
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