二見
ふたみFutami
全国1677位 ・ 約9,480人
二見(ふたみ)は、「和名抄」の伊勢国度会郡に二見郷を収め、布多美と注する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ふたみ
- ローマ字
- Futami
- 全国順位
- 全国1677位
- 推計人数
- 約9,480人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
二見をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Futami読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「二見」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第5巻 330コマに「家紋丸に右片憂柏、上藤」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 伊勢国(三重県)
- 伊豆国(静岡県)
- 相模国(神奈川県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
二見(ふたみ)は、「和名抄」の伊勢国(三重県)度会郡に二見郷を収め、布多美と注する。また大和(奈良県)に二見庄があり、そのほか三河(愛知県)・伊豆(静岡県)・相模(神奈川県)・佐渡(新潟県)・但馬(兵庫県)・播磨(兵庫県)・肥後(熊本県)などにこの地名がある。 【1】二見首 ― 火闌降命の子孫で、大和国宇智郡の二見神社と神名式に見える地から起こる。「姓氏録」大和神別に収め、「二見首は、富須洗利命の後である」と載せる。隼人と関係があるだろうか。 【2】清和源氏宇野氏族 ― 前項の宇智郡二見邑から起こる。「郷士記」に宇野二見氏が見える。建武二年の文書に二見荘のことがある。 【3】河内(大阪府)の二見氏 ― 「長禄寛正記」の弘川衆に二見三郎左衛門を載せる。 【4】紀伊(和歌山県)の二見氏 ― 名草郡布施屋村の地頭で、東南院古文書に「正平二(六)年、二見左衛門大夫を布施屋郷の地頭職に補す」とある(「南山巡狩録」「続風土記」)。 【5】宇宿土公 ― 伊勢の二見から起こる。猿田彦大神の子孫である太田命の後裔で、皇太神宮権禰宜家の筋書に「憎禰宜(宇治土公)は二見・太田命の後裔」と見える。浦田町の邸内に猿田彦神社を祀る。「倭姫命世記」に「興玉神は宝殿がなく、衛神の猿田彦大神がこれである」とあり、ある書に「衢神の孫の太田命は、これ土公氏の遠祖の神で、五十鈴原の地主神である」という。……(中略) 【7】藤原姓 ― 三河国宝飯郡二見邑から起こったものか。家紋は丸に右片○(この一字は原文が崩れている)柏、上藤。「寛政系譜」に「二見久左衛門信孝は家康に仕えて普請役であった」とある。 【8】武蔵(東京都・埼玉県)の二見氏 ― 入間郡の名族で、「新編風土記」に「二見氏(勝楽寺村)。世系などは伝えないが、村内の勝楽寺の撞鐘の延久三年の銘に二見相覚妙性などという者が見え、また二見氏がこの地に古くから住んでいたことが分かる。また宗哲という者が出した感状一通を蔵する。その文中に年代は記されていないが、小室筋などということが見える」とある。そのほか武蔵・石見(島根県)などにこの氏……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
二見フタミ和名抄、伊勢國度會郡に二見歸を收め、布多美と註す。又大和に二見庄、その他、三河、伊豆、相摸、佐渡、但馬.播磨、肥後等に此の地名あり。二見首火闌降命の裔にして、大和國宇智郡二見神社と神名式に見ゆる地より起る。姓氏錄、大和神別に收め「二見首、富須洗利命の後也」と載せたり。隼人と關係あるか。 2〓和源氏字野氏族前項字智郡二見邑より起る。郷士記に宇野二見氏·見ゆ。その建武二年文書に二見莊の事あり。 3河內の二見氏長祿寛正記、弘川衆に二見三郞左衞門を載せたり。 4紀伊の二見氏名草郡布施屋村地頭にして、東南院古文書に「正平二(六)年、二見左衞門大夫を布施屋〓の地頭職に補す」と(南山巡狩錄、續風土記)。 5宇宿土公伊勢二見より起る。猿田彥大神の裔孫太田命の後裔にして、皇太神宮權國宜家筋書に「憎福宜、(字治土公)二見·大田命の後裔」と見ゆ。浦田町邸内に猿田彥神社を祀る。倭姫命世記に「興玉神、寶殿なし、衞神猿田彥大神·是れ也」と0一書に日ふ「衢神の孫太田命は是れ土公氏の遠祖の神、五十鈴原の地主神也」と。……7藤原姓三河国寶飯郡二見邑より起りしか。家紋丸に右片憂柏、上藤。寬政系譜に「二見久左衞門信孝·家康に仕へて普請役たり」と。 8武藏の二見氏入間郡の名族にして、新編風土記に「二見氏(勝樂寺村)。世系等は傳へざれど、村内勝樂寺の撞鐘、延久三年の銘に二見相覺妙性など云ふ者みゆむた、二見氏の當所に古く住せしことしらる。又宗哲と云ふものゝ出だしたる感狀一通を藏す。彼の文中に年代は記さゞれども、小室筋などいふこと見えたれば、その他、武藏、石見等に此の氏……
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
二見に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「二」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が二見の前後にある名字です。
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